今期のアニメの中に「少女終末旅行」というのがある。
最近流行のWeb漫画が原作のものらしい。
1話を見てみたが、なかなか面白そうでもあり、ウツになりそうでもある。
アニメを見ると、主人公である少女2人以外は登場しないので、人類は滅亡したように見えるが、ウィキで作品の紹介を見ると、原作の方では彼女ら以外に2人の「人間」と出会っているらしい。
まぁどちらにしろ、絶望的な世界には変わらないがw
さて、人類の未来を描いた作品というのは漫画にしろ小説にしろ映画にしろ、いろいろ存在する。
これらには大きく分けて2つある。
1つは人類は結局宇宙へ進出する事もできず、戦争や地球規模の自然災害などで地球上でゆるやかに滅亡していくというもの。
もう1つは、無限に広がる宇宙空間へ、ある程度自由に飛び出す事が可能なレベルまで科学を発展させる事に成功し、争いは絶えないものの、まだ当分の間は滅亡なんぞと無縁であるというもの。
有名なSF映画の「猿の惑星」や「マトリクス」、日本の人気漫画・アニメである「北斗の拳」などが前者だろうか。
後者は「ガンダム」シリーズや「銀河英雄伝説」や、あるいは「スター・ウォーズ」を未来の世界と考えれば当てはまるだろう。
なお「スター・ウォーズ」は設定的には遥か昔の話らしいが。
現代の人類の状況を見る限りでは、割と絶望的に描かれる未来の方が現実的に思える。
リアル嗜好の強い欧米の作品に、そういったものが多いのも人類が本能的に感じている、もっとも可能性の高い未来だからだろう。
対して、ものすごい科学技術の発展により、地球という狭い場所を離れ、宇宙を人類の生活の場とすることで、明るい未来像を示す作品は日本の方が多いように感じる。
いずれにせよ、どちらの未来が現実になっても、私は特に恐怖も絶望も、あるいは夢も希望もそれほど感じない。
というのは、今までオカルト的な話題で述べてきたように、不滅の魂を持ち、永遠に物語の世界に生きるのが、この世界の本当の姿、自己の本当の姿だと思っているからだ。
たとえ人類が滅亡しようとも、地球上の生命が全て全滅しようとも、あるいは地球や太陽が無くなってしまうような世界になろうとも、自己の本体である魂は永遠に存在し続けられるからだ。
つまり、死や終わりといった事に対する恐怖は現実的では無いと考えている。
私が恐怖するのは、むしろ「永遠」という言葉だ。
人類は不老不死を昔から求めてきたが、ではいざ不老不死になったらどうだろうと考えた時に、絶望しか感じないと思う。
漫画やアニメやゲームに登場する、不老不死の敵は読者やプレイヤーや主人公にとって絶望を与える一方で、不老不死の敵も、また自身に絶望している。
人気漫画であるジョジョに出てきた不老不死となった敵の大ボス(?)は、最後は無限の宇宙空間へ追放される事で人類の脅威から切り離されたが、無限の宇宙空間を永遠に彷徨うという事に絶望し、「考えるのを止めた」で終わっている。
つまり、我々が本当に恐怖を感じるのは、古来より多くの人間が求めてきた「不老不死」そのものにあるのではないかと。
死ぬことよりも、死ねないことの方が遥かに怖い、ということだ。
有限よりも無限の方が、はるかに怖い。
その本能的な恐怖が、終末思想や人類滅亡というバッドエンドの未来物語を多く作らせていると思う。
そういう予測をする事で、ワクチンのように恐怖をやわらげる、耐性をつけようとしているのではなく、永遠に存在し続けるという「恐怖」を避けるための、ハッピーエンドの物語なのだ。
もし本当に前世・現世・来世というものがあるなら、あるいは超古代文明のように、人類は今まで何度も滅びかけている、今の人類は第○世代の人類・文明であるという思想が的を射ているとしたら、生まれ変わる度にそれまでの記憶や経験や実績を失ってしまうのは、「永遠」を忘れるためではないかと。
「永遠」に耐えられなくなった存在が、仮初の「有限」の中に逃げ込んでいるだけなのではないかと。
そう考えると、なぜ生き物は死ぬために生まれるのか?という疑問も解決すると思う。
なぜ「前世」の記憶が無いのかも、説明がつく。
「無限」という「現実」を忘れるため、考えないようにするため、その恐怖から逃れるためだ。
少女終末旅行という、一見すると最初から絶望しかない物語に惹かれるのも、そういう理由かも知れない。
最近めっきり聞かなくなりましたね。
言い出したマスゴミが、全く言わなくなったからです。
「族議員」ってのは、簡単に言えば何かの「業界(利権)団体」と繋がってる国会議員の事です。
例えば日本医師会と繋がってる、医者出身だったり元厚労省の職員だったり製薬会社出身だったり、あるいは日本医師会から献金を貰ってたり、そういうことで医療改革などを行おうとすると、反対する「自民党」議員限定で使われてた言葉です。
加計学園問題はこの最近めっきり聞かなくなった「族議員」が関わっています。
かつてマスゴミが散々批判した「自民党」の国会議員ではありません。
そう、この問題を持ち出した張本人であり、元民進党(現希望の党)の「玉木雄一郎」です。
香川県獣医師会副会長の父を持ち、日本獣医師会から献金も受けているズブズブの「族議員」です。
加計学園問題は、ご存知のように日本獣医師会が学部新設に猛反対しています。
つまり、かつてマスゴミが散々批判した利権団体と族議員(それと省庁)による、改革への抵抗運動です。
これ、玉木が自民党議員だったら、マスゴミは確実に加計学園側についてます。
「族議員」だの「癒着」だの、これまでマスゴミが散々使ってきたキーワードを総動員して叩いたでしょう。
ですが、今のマスゴミはとにかく「安倍政権打倒」しか頭にありません。
そのためなら、かつて自分達が「民意の代弁」として行ってきた、改革の抵抗勢力たる「族議員」も、それと癒着している「利権団体」への批判は全て封印・・・するどころか寧ろそちらの言い分の方が正しいと主張する。
それでも本当に、違法行為があればまだ良いですが、これだけやっても検察の特捜部がピクリとも動きません。
かつて自民党の大物政治家であり、首相を何期も務めた実力者である田中角栄は、収賄の罪で有罪になった大きな事件がありました。
有名なロッキード事件です。
この事は、いくら政権与党を長年努めている自民党といえども、違法行為は握り潰せない事を証明しています。
つまり検察が動かない、野党やマスゴミが動かせないというのは、違法性が無いという事なんです。
こう言うと、「いや違法性の問題ではなく、政治倫理の問題だ!」と屁理屈をこねるのも居ますけどねw
失言だの漢字の読み間違いだの、そういう下らない事で、今まで辞任に追い込めた実績があるので、その手で行こうとしているのでしょう。
しかしそれすらも、「ではどこがどう問題なのですか?証拠はあるのですか?」と言われればだんまり。
挙句に「やましい事は何もないというなら、その証拠を出せ!」と言う始末w
いやいや証拠はあなた方、野党やマスゴミが出すのですよ。
捏造されたり、証拠にならないようなメモとかそういうのでなくてねw
だいたい、散々敵視していた「族議員」を、安倍を倒すためなら徹底的に援護する。
散々叩き続けた業界(利権)団体である、日本獣医師会の言い分ばかりを報道する。
どう見ても、あやしいのは玉木側なのに、そういった都合の悪い情報は一切報道せず、安倍は不正をしている(はず)と。
あのね、別に私は安倍首相の信者でもないし、全ての政策を支持しているわけでもない、もっと他にふさわしい政治家が、政党が居ればすぐにでもそちらを支持するつもりでいる「消極的支持者」ですけど、これでは安倍さんを擁護せざるをえないですよ。
だってあまりにも「おかしい」ですもん、野党やマスゴミのやってる事が。
そもそもね、文科省と日本獣医師会の意見がまったく一致して、しかも協力しているっておかしいですよ。
学部の新設を特区制度を使って文科省に申請した今治市の市長は、その申請を12回も却下されたそうです。
たぶんこれね、文科省と日本獣医師会のどちらか、あるいは両方に「根回し」という名の、まぁ「賄賂」ですね、贈ってればすんなり通ったと思いますね。
でもそれを良しとせず、あるいは単にそういう仕組みを知らなくて、正攻法で行ってしまった。
だから意地でも認めない。
江戸時代だったら、たぶん赤穂浪士の討ち入りみたいなので、文科省のトップなのか日本獣医師会のトップなのか、どちらかは暗殺されてたでしょうねw
だってまるっきり赤穂浪士の話そのものですもん。
中央の「しきたり」なんぞまったく知らない田舎の市長が、「挨拶が無かった」と言う理由で、意地悪され、申請を却下され続ける。
文科省と日本獣医師会が、悪代官と越後屋にしか見えませんw
中国の賄賂文化を批判できない、酷さですよ。
ねぇマスゴミさん、かつて散々叩いた自民党の「族議員」と玉木の違いって何なのですかね?
かつて「抵抗勢力」として散々批判した、「業界(利権)団体」と癒着した「族議員」にしか、玉木と日本獣医師会は見えないんですが、何がどう違うんですかね?
国民が納得しうる解説をして下さいよ、できないでしょうがねw
加計は認可が下りそうなので、クズどもは最終手段に出ました。
加計は韓国人留学生ばかりを受け入れる、日本の税金を使って外国人を教育する気だ、許せんとw
あのね、朝鮮学校に補助金あげないのは差別だとか散々批判してたの誰ですかね?
そもそも加計学園は、日本人の運営者や講師陣による、日本の文科省の方針に沿った教育をする学校ですよ?
教師も運営も全て北朝鮮人であり、日本の教育方針に沿わないどころか反するような事までしている朝鮮学校は、生徒が外国人だからって差別するな、補助金出せとか言っておいて、なんで韓国人留学生(の受け入れ予定が多いとされる)という同じ外国籍の人間を教育する学校は、税金の補助受けちゃだめなんですかね?
加計学園を批判するなら、朝鮮学校なんて解体すべきぐらいの事を言って叩かなければ、おかしいでしょw
マスゴミさん的には、韓国人が日本人を差別するのは全く問題ない、むしろ差別じゃないが、日本人が韓国人を差別するのは絶対に許さん、たとえそれが「氏ね」と加でなく、単に「嫌い」と言っただけでも差別だというのに、明らかに加計問題では韓国人差別してますよね?
自分達の主義・主張・・・というかもはや主義・主張とすら呼べない単なる感情的な暴論を押し通すためなら、今までの主義・主張も簡単に覆すし、今までの敵とも簡単に手を組むし、今までの味方も簡単に裏切る。
これでどうして信用して貰えると思うんですかね?
マスゴミだけでなく、その愉快な仲間達である野党のみなさんも同じですよ?
もうここまでくると、単なる「わがままなガキ」ですよ。
おもちゃを買って貰えなくて、地面に寝そべって手足をバタバタさせながら泣き喚いている、アレと同じですわ。
いい加減、大人になりませんか?
それと中央省庁と業界団体。
いい加減、天下りを完全に禁止して、繋がりを絶った方が良いですよ。
悪代官と越後屋をいつまで続けるんですか?
あんたら本当に日本のためや、業界の「健全な」発展のために働く気あんの?
金はいくら稼いだって、墓の中までは持っていけないし、いくら地位だの名誉だの手に入れて、子孫のために磐石な地盤を築いたって、墓の中からは見ることもできないし、圧力も掛けられないんですよ?
天皇家ぐらいでしょ、いくつもの政権や王朝が滅びても未だに日本で「権威」を持ち続けられている「名家」なんて。
加系問題みたいな下らない事して、ちっぽけな威厳だの利権だの守る小悪党ごときが、天皇家に並ぶ名家になれるとでも?w
歴史に悪名しか残らない、いや悪名すらもあまりにショボすぎて残らない事するより、もっと世の為、人の為になる事をしませんか?
たとえ子孫が、家が滅びたとしても、歴史に名が残る、あの世で自慢できる人になれるかも知れませんよ?w
トランプ大統領に先立って、彼が一番信頼する肉親であり側近でもある、娘のイバンカさんが来日されていましたね。
この時に、安倍首相がイバンカさんも設立に携わったとされる、国際基金に57億円出資した事を伝えた事が、マスゴミに大きく取り上げられました。
まるで安倍首相が独断で、日本人の血税57億円を、イバンカの機嫌をとるために差し出したと。
実際はイバンカ氏が来日したから決まった事ではなく、7月とかいう数ヶ月も前に決まっており、その時に発表もされていた事でした。
そしてなにより、基金は国際的な機関であり、イバンカ氏は単に発起人なのか、設立運動に携わった一人なのか分かりませんが、少なくとも、設立後の運営や資金には一切関わってないし、今後も関わることはないと言われているものです。
つまり「イバンカ基金」などというものは存在しないわけです。
安倍首相を叩くためなら事実を捻じ曲げ、切り貼りなどの細工を施してでも印象操作する、いつものマスゴミの下らない「フェイクニュース」です。
ただマスゴミや、このニュースを支持して拡散している某野党の反日議員に言いたい。
不正(とマスゴミが印象操作している)の相手は、アメリカの公人であると。
モリカケ問題のように、日本人の民間人ではないのだと。
つまり、このようなフェイクニュースが事実として、当のアメリカにも伝われば、イバンカ氏が安倍首相から賄賂を受け取ったと叩かれる事になります。
トランプ大統領はロシアの工作により誕生したとの疑惑もあり、その強硬な言動から未だに反トランプ派も多く、そういった人達と組んでいるアメリカの大手マスコミは、日本同様、日々ありとあらゆる手段を使って、トランプ大統領を叩き続けています。
ここへ、「安倍首相、イバンカ基金に57億円プレゼント」なんてフェイクニュースが伝わったら、トランプ政権叩きの格好の材料にされてしまいます。
しかし事実は異なりますから、日本のように安倍憎し一色のマスゴミと違って、トランプ支持のマスコミもアメリカには少なからずあるので、それらによって「フェイクニュース」である事が報じられるでしょう。
それで終わればよいですが、終わらなかった例がかつてありましたね。
そう「慰安婦問題」です。
朝日新聞の捏造(本人たちは誤報だと言いますが)記事が、今日まで影響を及ぼす、日韓関係を悪化させて止まない問題になったわけです。
これの二の舞になりかねないと言う事です。
世界的には、独裁国家でもないかぎり、マスメディアは嘘の情報、不正確な報道はしない事になっていますから。
これにより、日本が意図的にトランプ政権にとって都合の悪い嘘の情報を流した。
日本とアメリカの間での外交問題にまで発展する可能性も、0ではありません。
その事を、日本のマスゴミや野党議員は認識されていますか?ということです。
これにより、日米の関係が悪化すれば、ただでさえトランプ大統領の煽った対日貿易不均衡による反日感情が少なからずあるアメリカで、日本企業が商売をしにくくなります。
しにくくなるだけで済めば良いですが、追い出されてしまう事もあるかもしれません。
そうなれば、日本経済にとっては大ダメージです。
また防衛に関しても在日米軍に大きく依存している日本です。
在日米軍が引き上げでもしてしまったら、それこそ日本はいつ北朝鮮にミサイルを撃ち込まれても、いつ中国に攻められてもおかしくない状態になります。
そこまで事態が悪化する事はないとは思いますが、日本にとって無視できないダメージをがあるのは確実でしょう。
そうなった時に、マスゴミや野党議員は責任を取れるのですか?
これが事実の報道であれば、致し方ないでしょう。
本当に、イバンカさん個人の私的な基金があり、そこへ日本が国として57億円の税金を「寄付」したのであれば、それを報道した事によって日米関係が悪化しても、それは日本政府の責任です。
しかし事実はそうではありません。
イバンカさん個人の基金でもなければ、「寄付」でもありません。
そもそもこの基金は、世界的に女性の社会進出を助ける、女性の起業を助けるため、いわば女性の権利向上や女性差別を無くすためのものです。
表向きは、賞賛される事はあれど、批判の対象になるものではありません。
これをフェイクニュースと言わずして、何と言うのか?
朝日新聞をはじめとしたマスゴミ連中は、捏造した慰安婦報道が日韓関係を悪化させた反省をしているのか?
もっとも、マスゴミや一部の野党議員は日米関係の悪化も目的かもしれませんがねw
われわれは真に日本ためを思って、報道や政権批判を日々しているのだというなら、早急にやり方を変えるべきでしょう。
「イバンカ基金」などというものは存在しない、まったくの「誤報」でしたと謝罪し、それを広く発信すべきでしょう。
でないと第二の「慰安婦問題」になりかねません。
そうやってどんどん日本を事実無根のフェイクニュースで孤立に追い込み、戦前の日本と同じ状況にして、日本がまた無謀な戦争を仕掛ける側にまわる事をお望みなら、「イバンカ基金」でも「慰安婦は日本軍が主導した性奴隷」でも、事実無根のフェイクニュースを垂れ流し続けなさい。
戦前と同じように、フェイクニュースで日本を破滅に追いやりなさい。
ただ2度目は無いと思いなさい。
つまり日本が次に戦争を始めて負けた時、日本が独立国として存在を許されるにしろ、どこかの属国にされてしまうにしろ、マスゴミや反日勢力の人間が、無罪放免される事はないだろうという事です。
戦争犯罪の共犯として、裁かれますよって事です、外国の正式な工作員以外はねw
ここ最近、価値観について色々述べてきました。
その中で、多数派の価値観こそが「善」であり、明文化された法律や宗教の教義、明文化されていない、あるいは罰則があるほどではない伝統やモラルやマナーや倫理になると書いてきました。
では少数派の価値観は無視して良いのか?
答えはノーです。
私がここ最近、多数派こそが正義という理論を展開してまで多数派の価値観に拘ったのは、少数派が失礼だからです。
最近の少数派は少数派である事を理由に、多数派に価値観を押し付けるのが、多数派が我慢するのが当然と言わんばかりの強引な主張が多いからです。
順番に説明しましょう。
まず少数派の価値観をなぜ尊重しないといけないか?
これは例えば「障害者」の待遇などで、その理屈が分かります。
「障害者」というのは現在は多くの国で、健常者よりも余分に保護される制度や法律やシステムがあります。
なぜ多数派の「健常者」が少数派の「障害者」のために我慢を強いられなければならないか?
これは、人道とか優しさとか、そういったあやふやな感情論で、そうしなければならないわけではありません。
人は誰しも自分が「障害者」になる可能性を持っているからです。
「障害者」というと、生まれつきのように思われますが、病気や事故や怪我で「障害者」になる人も多く居ます。
特に昔と違って医療技術が発達した現代では、腕や足を失うような大怪我を負っても、命は助かる場合が多いですよね。
だから昔と比べて、生まれつきではなく、人生の途中で「健常者」jから「障害者」になった人が増えたのです。
自分は絶対「障害者」にならないなんて言い切れる人は居ません。
つまり「障害者」を保護するのは、「自分自身」のためです。
自分がもし「障害者」になった時に、後悔しても遅いからです。
つまり「保険」と同じなのですよ。
例えば、車椅子の移動のためにスロープを作る、目の見えない方のための点字ブロックや点字で様々な表示、「健常者」よりできる仕事が限られ、稼ぐことが難しい&障害によっては永続的に高額な医療費が掛かる事もあり大変なので、障害者年金がある。
これらは我々の税金が主に使われますが、その分の税金を他へ使ったからといって、大して健常者に利があるわけでもありません。
また「障害者」の方へ手を貸すことは、介護のように永続的に全ての面倒を見るのでなければ、ちょっとした苦労や我慢でできる事が殆どです。
ちょっとした苦労や我慢をするだけで、良いことをした気分になれますし、まったくの損ではありません。
このように自分自身の将来の保険としてや、我慢や負担の度合いが目くじらを立てる程のものでもないもの、あるいはそれを行う事で自分も「良い事をした」という満足感や充実感を得られるものについては、大いにやるべきなのです。
結果的にそれが多数派の利にもなるのです。
ではなぜ少数派を批判したのか?
まずもって少数派の価値観を取り入れる事は、あくまで多数派の善意によるものであって、義務ではないという事を分かっていない人が多いからです。
義務でも仕事でもない事を、人にやってもらう時ってどうします?
「頼む」んですよね?
「頼む」ってのは上から目線で、やってもらって当然なんてしますか?
それはもはや「お願い」ではなく「命令」ですよね?
少数派が多数派に「命令」して従わせる事、人はこれを「独裁」や「絶対王政」などと呼びます。
不公平な「身分制度」もそうです。
ましてや、その「頼み」というのは、多数派に我慢や損を強いるものである事が多いです。
程度の問題ではありませんよ?
人として、誰かに我慢や損や苦労をかける場合、丁寧に相手にお願いし、そしてやってもらったらお礼を言うものです。
私が接客業をしている時に習ったのですが、人に何かお願いするときの一番丁寧な言い方は、「~して頂けますか?」です。
「~して下さい」は一見丁寧なようですが、命令形です。
大して「~して頂けますか?」は命令ではなく、相手の意思を問う疑問系であり、命令ではありません。
この辺、特に少数派の人は良く覚えておいて下さい。
政治的・思想・心情的、あるいは被差別者を語る者や障害者の方、日本在住の宗教の信者の方などなど。
言い方ひとつで、双方が気持ちよくなれるのです。
大した手間じゃない、たいした損はないとしても、日本人ならこの辺の事は礼儀として分かると思います。
シルバーシートに座ってる若者に、席を譲ってもらう時は、「すいませんが、席を譲って頂けませんか?」ですよ。
「てめー、若いくせに何座ってんだ!」じゃありません。
礼儀に年齢も地位も関係ないんですよ。
シルバーシートは空いている時は座って良いが、お年寄りや体の不自由な人が乗ってきて、他に座れる席がなさそうな時は、譲ってあげて下さいというものです。
つまり義務ではないのです。
あくまで人の「善意」に頼るものです。
そこを勘違いしている少数派の年配者が多いです。
年配だから偉い、障害者だから手助けしてもらって当然、マイノリティだから自分の意見が通って当然。
これがダメだと言ってるんです。
ましてやそれが法に関わるものなら、なおさらです。
「9条守れ」じゃないでしょ?
選挙の結果を見ても分かるように、護憲は少数派なのです。
しかも命令口調で、まるで改憲派は悪者か愚か者のごとく言う。
だから嫌われるし、賛同されないんです。
民主主義ってのは多数派が「正義」であり「善」なんですよ、いくらわめこうが屁理屈並べようが。
少数派の主義・主張は通らなくて当たり前なんです。
通す義務は無いんです。
それでも自分達の主義・主張を通したいなら、まず丁寧にお願いするところからはじめるべきでしょう。
そして、自分達が多数派になる事です。
丁寧にお願いし、説明し、説得し、「わかった、確かに君達の言う事のほうが正しい」あるいは「その程度の我慢や損で済むなら、いいじゃないか?」という「賛同者」を増やす事ですよ。
自衛隊が居なくても、在日米軍が居なくても、日本は9条さえ守っていれば、絶対に攻め込まれる事はない。
そういうなら、改憲派が「確かにそうだな」と納得できる根拠を示すべきです。
その上で、丁寧にお願いすべきでしょう、少数派なのですから。
護憲派が多数派なら、「9条守れ」「改憲なんて許さん」でもいいですよ。
そもそも9条さえ守っていれば絶対大丈夫だという、根拠を示せてないですよね?
理由も理屈もなく、ただ反対反対と喚くだけで、多数派になれるはずもないし、主張も通るわけがないでしょ。
むしろそういう態度が少数派をより少数派にし、多数派の反感をより強めるのです。
枝野さん、質問時間を多数派より少数派の方に多くまわせというなら、まず多数派の自民党にお願いするべきですよ。
あなた方は選挙で当選したとはいえ、少数派なのです。
少数派だから質問時間が多いのは当然である!じゃないでしょw
そんなんで本当に自民が折れると思ってるんですか?
丁寧にお願いし、どうして少数派の質問時間の方が多くないといけないのか?多数派にも利がある、あるいは害は少ない、確かに一理あるなと納得させられる理論を、押し付けでなく説得として展開し、それで最後に「いかがですか?」でしょ。
枝野の言う事には一理も二理もあるし、我々がそれによってこうむる損害も目くじらを立てるほどじゃない、むしろ我々がこれを聞き入れない事の方が損が大きい、誠意を尽くしてお願いしている相手を無下に扱う事も日本人の良心が許さない。
となれば、100%通らなくても、半分は通るかもしれないじゃないですか?
少数派はまず自分達は少数派であるという事を認識すること。
そして自分達の主義・主張が通らないのは、「当然」であるという民主主義の理念を理解すること。
どっちが偉いとか、権利だとか義務だとか、そういうものを盾にとって「戦う」のではなく、あくまで「お願い」に徹する事。
相手を納得させうる丁寧な説明をする事。
そして、最後にできれば自分達の主義・主張が支持をされ、多数派になる事。
多数派が注意すべき点は、自分が絶対に少数派にならない保障はないという事を覚えておくこと。
その上で、多数派だからと聞く耳を持たないのではなく、少数派の意見を良く聞いて、このぐらいなら我慢できるというものであれば、あるいは自分が少数派になった時に、このぐらいはして貰わないと生きていけないかもしれないという予測と、そういうものを考慮して、聞き入れられるものは聞き入れる事です。
全てを受け入れる必要はありませんし、「~しろ!」なんて失礼な命令調のものや、理論的な説明が一切ない単なる感情論であれば、聞く必要はないです。
これが少数派も多数派も、お互いが気持ちよく生きていける社会を作れる一番の方法だと思います。
そもそもこの世に全ての面において常に多数派に立てる人間は居ません。
ここまで言うと、馬鹿にされそうですが、私は転生を信じています。
現世は豊かな日本の中流家庭に生まれる事ができましたが、来世はアフリカの飢餓に苦しむ世界や、あるいはスラム街のどうしようもない家庭に生まれ代わるかも知れない。
そうなった時に困らないよう、飢餓や貧困の根絶が必要だと感じています。
かわいそうだとか、高尚な使命感だとか、そんなもんじゃなくて良いのです。
自分の将来の為、保険でいいんですよ。
そういう風に全人類が考えられる時が来れば、本当の意味で平等で差別や格差の無い社会が実現できるでしょう。
転生を証明するのはおそらく不可能ですけどねw
そもそも人間に生まれ変われるかどうかすら分かりません。
猫かもしれないし、人間に食べるためだけに育てられてる牛や豚になるかもしれないし、あるいは蚊になって殺虫剤を浴びて短い一生を終える事だってあるかもしれませんw
余計な事でしたねw
前回も述べましたが、価値観というのは簡単に言えば「好き・嫌い」であり、人類が社会を構成するうえで最も重要な要素です。
世界の多くで、「殺人」や「窃盗」が罪になるのは、多くの人間が「殺されたくない」し「盗まれたくない」からです。
人間というは、地球上の他の生命と同じく「生き残る」事が、最も優先度の高い目標というか目的というか、あるいは行動原理や何かを思考する際の条件です。
人間の価値観は千差万別ですが、にも関わらず国や人種や民族に関わらず「殺されたくない」し「盗まれたくない」と共通しているのは、このためですね。
死は生の正反対の状態なわけですし、生きるには食料やお金や、様々な財産が必要ですから、それを盗られるというのは「生き残れない」可能性が高くなるわけですから。
ただこれすらも、全人類ひとりの例外もなくそうだと言う物ではありません。
嘱託殺人罪という言葉が、例の座間の事件で出てきたように、「殺される」事を望む人が居て、誰かにそれを頼んで実行してもらう事があるということです。
まぁこの場合は、「殺されたい」というより「死にたい」なのかも知れませんが。
また「窃盗」が必ずしも罪にならないというルールを持つ人達も居ます。
とある砂漠地帯の遊牧民族だったと思いますが、他人の食料を盗んでおいて、その盗んだもので作ったご馳走を盗られた人も呼んで振舞う、そしてそれが当たり前の伝統であるというのを見たことがあります。
このように、人類共通とも思える価値観にさえ、例外が存在します。
だからこそ、日本人は伝統的に「私がされて嬉しい事は、相手もされたら嬉しいはず」とか、「私がされて嫌な事は、相手も嫌なはず」と単純に考えずに、「私はされて嬉しいが、相手は必ずしもそうじゃないかも知れない」という考え方をするのです。
これが、日本の「おもてなし」が素晴らしいと言われる所以であり、日本でテロが起きない要因のひとつでもあります。
ただそんな日本でさえ、日本が良い国だ、日本の政治は素晴らしいと考える人は少ないですし、ブラックじゃなくても会社に不平・不満のある人は大勢います。
つまり、そこまで考える民族性があっても、全員が賛同したり幸せになれる社会が作れないのです。
うちの会社は社員みんな仲が良くて、週末には必ずみんなで飲み会するし、休日にはみんなで一緒に遊びに出かける事も多い。
本当に和気藹々とした、素晴らしい会社です。
ってのがあったとしても、全員が本当にそうだとは言い切れません。
まずもって、お酒が飲めない人で飲み会を楽しめる人はあまり居ません。
また休日は家で一人でゆっくりするのが好きな人にとっては、いくら仲間の事は嫌いではなくても、一緒に遊びに行くのが嫌な人だって居るでしょう。
そういう人にとっては、その会社は決して良い会社ではありません。
大津のいじめ自殺事件で、加害者とされる元同級生がいじめをしたという認識は、未だに無いと言ったとかで、人間じゃないみたいな叩かれ方をしていました。
恐らくは弁護士からそう発言しないと裁判で不利になるからと言われて言ってるのだと思いますが、本当にそう思ってる可能性だって否定できないわけです。
本当に自分ならこの程度は悪ふざけの範疇で、死にたいなんて思わないと感じているかも知れません。
軽く殴ったつもりが、本人にとっては命の危険を感じるほど痛かったとか、そういうのもあるかも知れません。
なぜなら、価値観が違うからです。
もちろん価値観が違うから加害者は悪くないとか、そういう事を言ってるわけじゃないですよ?
本人がスキンシップの延長で軽く殴ったつもりでも、相手が恐怖や不快感を感じたなら、価値観が違うから仕方ないでは済みません。
済まされてはいけません。
欧米でのテロや移民問題の根底にあるのが、この価値観の相違であり、価値観を押し付けあってきた歴史に起因してるのです。
これは自分の価値観を「疑う」事ができる日本人でないと、理解できない事かも知れません。
絶対の正義なんて無いし、絶対の悪なんて無いのです、この世には。
少なくとも人類社会には。
だから俺は悪くないとか、俺は間違ってないという自己弁護に、これを使って貰っては困りますけどね。
ただこの、自分の価値観を「疑う」事をしながら生きた方が、無用なトラブルに巻き込まれたり、身に覚えの無い恨みを買うことが少なくなりますよって話です。
屁理屈を言えば、これすらも価値観の押し付けであるわけですけどねw