2ntブログ

苦労しないで得たものは、後で必ず失う

私がそれなりに生きた人生で得た教訓。

いまでこそ「ブラック企業」なんて言葉があるが、そんな言葉も無い時代に、ほんとうに肉体も精神もボロボロになるまで薄給で働いた時期があった。
そこを辞めた後で、人生で初にして最高金額の懸賞に当たった。
といっても、10万円分の旅行券ってやつだけどw
たぶん本当なら100万円ぐらいの宝くじにでも当たったんだろうけど、そのブラックを辞める時に最低限人としてやらなければならない1ヶ月前に辞める意志を伝え、きちんと退職手続きをせずにバックレの形で辞めた事に対する罰が差し引かれたんだと思った。

その後、職を転々としながらで、それでもブラック時代より遥かに楽で高額な給与が貰える仕事ばかりしてた。
まじでブラックから転職した最初の所は、「こんな楽な仕事で、こんなに貰っていいの?」と衝撃を受けたぐらいだ。

しかし、今はそれらの金は一銭も残ってないどころか、その時に買ったものは、このPC以外にほぼ残ってない。
だから苦労しないで得た金やそれで買ったものは、後に必ず失われる、苦労とそれで得られるものというのは比例するんだという結論に至ったのだ。

悪い事をすれば、必ず後で報いを受けるなんてのも同じ理屈なんだろうな。

「努力は必ず報われる」というのは、嘘であるが、同時に真実でもあると思う。
例えば、プロ野球選手になりたくて、それこそみんなが遊んでいる間も胃液吐くような練習をし続けても、結局は才能が無くてプロ野球選手になれなかった。
これだけ見れば、「努力は必ず報われる」は真実ではないという事になる。
しかし、そういう人ってのは別の形で実は報われてたりする。
プロ野球選手という夢はかなわなかったが、その時に磨かれた「根性(?)」により、人の倍以上働いても精神病まないし続くので、結局金持ちになったとか、あるいは子供が野球の才能を開花させて甲子園に出たとか、あるいは昔とった杵柄で、少年野球の監督になって、教え子やその親から感謝されまくるようになったとか。
まぁどんな形にせよ、かならず努力した分のご褒美は返ってきてるもんだ。

「人様に迷惑を掛けるな」が口癖だったうちの親父が、自分は人様の迷惑をこうむりまくりながら、それを迷惑と考えずにひたすら働き続け、最後は心筋梗塞で、家族に介護や医療費などの負担を掛ける事も無く、自分もそれほど苦しまずに突然死できたのは、やはり今までの人生のおかげだろうと思う。

バブルまでの日本に比べて、今の日本の若者や現役世代は明らかに恵まれていないし、その時代の亡霊とも言えるじじぃばばぁに振り回されてる。
だが今の若者や現役世代は、必ず後でその苦労は報われるだろうし、じじぃばばぁは必ず報いを受けると思っている。
現役時代に散々やらかしたであろう老人の患者が、自分の子や孫ぐらいの歳のヘルパーに舌打ちされ、嫌な顔されながら毎日オムツ交換されている現場とか、見てきたしねw

幸福量保存の法則みたいのは、あると思いますよって話。

文章を書くということ

ネットでいろいろ見てると、つくづく感じる。

みんななんであんなに文章が上手いのかと。
個人の趣味の日記はもちろん、掲示板のまとめに載ってる人生話とか、本当に引き込まれるように読めて、なおかつ情景が浮かぶような文章を、なぜプロでもない一般人が書けるのかと。

SSという情景描写が少なく、登場人物と会話だけで構成された、演劇の台本のようなショート小説(?)とか、書ける人尊敬する。
もちろん、上手く書けてるからこそ「まとめサイト」に載ってるんだろうけど。

ラノベなんてよく馬鹿にされるけど、あの程度の文章すら私には到底書けない。
小難しい辞書で引かないと普通の人には書けなかったり、意味が分からない単語や言い回しが無いだけで、本当に読者を引き込み、かつ最低限の日常使われる誰でも知ってる言葉だけで情景描写できてるわけで、直木賞作品にノミネートされるような本格的な小説と中身の差は無いと思うんだよね、売れてるもんは特に。

一時期流行った、携帯小説だっけ?
「スイーツwww」って馬鹿にされてたけど、あれすら私には書けないよw

私は国語や現代文の学校での成績は、悪くは無かった。
むしろ常に半分より上に居たと思う。
にも関わらず、この体たらくだ。

普通の人が普通にできる事が出来ない。
同調圧力というか、「普通」への執着や不安が強いと言われる生粋の日本人の遺伝子を持つものとして、本当にこれが耐えられないw
いっそ、実は在日でしたとかの方がまだ諦めがつくが、親父が亡くなった時にたまたまいろいろ知る事となった戸籍や系図を見ても、どこにも大和民族じゃない人の血が見当たらないんだよねw

もうまじ、脳のどこかに欠陥があるんじゃないかと思ってるw

それでも欠陥があるなりに、人にはこれだけは負けないって異常な才能でもあれば救われたのかもしれないが、それもないw
アインシュタインもそうだったらしいけど、そういう大天才の人ってのは脳の使われ方が他の人と違うから、一般人には劣る部分がある一方で、その分天才的な才能があるわけだ。
であれば、私は脳の容量そのもが一般人に劣っているのか?

10年以上も前に母親から聞いた話では、生まれてすぐに保育器に入れられるような病気したり、おっぱいが上手く吸わせてもすぐにむせて吐き出したりしたので、この子は脳に障害でもあるんじゃないかと本気で心配してそういう検査もしたらしい。
だが、病院の回答は「この子は単に不器用なだけです」だったそうなw
つまり脳の異常は無いとw

まぁ今と違ってMRIも無い昭和がまだまだ続く時代だったし、今検査したら違うのかも知れないけどね・・・

なんか構ってちゃんみたいで、こういうのを書く自分に更に嫌悪感を感じずにいられないwww

なぜ子供には大人に見えないものが見えるのか?

某心霊ちょっと良い話系のまとめを見ていて、ある人がこんな事を言っていて、なるほどなと思いました。

「霊は見ている人が霊だと認識してしまうと、見えなくなってしまうのではないか?」と。

本来、霊というのは人が見えないだけで、その辺にうようよ居る。
だが、当然ながら実態が無いので触れる事はできない。
というか、この現実世界とは異なる世界で生きており、この現実世界の物理法則が通じない。
そのため、むしろ見えて居た方が、人間が普通に生活するうえでは不都合が多い。
実際、「見える」人は多かれ少なかれそれで苦労してるわけで。
だから、本来は見えているのだけれども、「脳」が「見えていないもの」として処理していると。

「脳」は目で見たものをそのまま正確に認識しているわけではないのは、「盲点」というもので科学的にも証明されている。
「盲点」というのは、人間の目にある「見えていない点」の事で、目の中心部分辺りにあるらしい。
なので本来は、人間は目の中心辺りは何も見えてないのだが、実際には目の中心部分の見えてない部分なんてものは多くの人が無い。
それは「脳」が周辺の風景などから、「たぶんここにはこんなモノが見えているだろう」と「補完」して認識してくれるからだ。

この「補完」があれば、見えては困るものを見えないものとして処理する能力もあっておかしくないと、私は思っている。

子供の頃に、霊が見える事があるのは、脳がまだ不完全だからだ。
「見えてはこまるもの」という認識が無いからではないかと。
だから成長していくにつれ、これは見えてはいけないものなのだという認識が出来ると、見えなくなってしまう。
心が綺麗とか、そういう問題じゃないのだとw

たぶん人間は賢くなりすぎたんだ。
霊は見えなくても困らないし、逆に見えたほうが不都合が多い事を理解してしまった。
そして見えてないものを見えていると錯覚させる「盲点」の補完機能と同様に、見えているものを見えていないものとして処理する、高機能な脳システムを持ったのだと。

写真やテレビなどには、「霊」と思しきものが写る事がある。
カメラには、人間の脳のように見えているのに見えてないと処理する機能とか無く、見えたものをそのまま写すからだと考えれば、説明がつく。
写真やテレビの映像というのは、人間の脳にとってはあくまで非現実(そこに実際あるわけではない)の二次元の映像でしかない。
だから見えては困る霊と認識せずに、そのまま見えているものとして処理するから、心霊写真とかは誰にでも認識できる。

私は十中八九、すべての生物には「肉体」とは別に、その本体ともいえる「霊」が宿っていると思っている。
だからそれを無理やり納得させるために、こんな屁理屈を思いつくだけかも知れない。
だが現代の科学では、「それは屁理屈だ」とも証明できないのも、また事実なのだ。

その屁理屈を補完できるような、新たな見解をネット上で見られたという話です。

浮気や不倫について

ここ最近、ネットゲーム(TERAのクラッシックサーバ)にも飽きて、他にやる事がないので、ひたすら他人の人生話のまとめを読んでるわけだがw

いろいろそういうのをまとめてるのを見てると、一番多く目に付くのがやはり「離婚」に関する話。

そして面白いことに、そういう話は不倫されて別れた夫側の独白が多いこと。
世間だと「男の浮気」の方が多く話を聞くのに、ネットでの自虐話は男の方が多いw

さて、私も基本的に浮気だの不倫だのはするべきではないと思う。
が、一方でそれが現代日本人の価値観や法律がそうだからに過ぎないという事も理解している。

なぜなら、ボビー・オロゴン氏の母国のように、一夫多妻が認められている国も存在するし、日本だって側室とかそういうのが認められていた時代もあったわけだから。
それに野生動物の世界では、一夫一妻の方が珍しく、オスもメスも複数の相手と交尾して子供を作るのは当たり前だからだ。

日本が一夫一妻しか認められないのは、なにも価値観やモラルの問題だけなく、単純に「経済的」な問題でもある。
当たり前だが日本は世界でも一番といわれるほど「貧富の格差」というものが小さい。
飢え死にするほどの人間が珍しい代わりに、何人もの女や子供を養えるほどの大金持ちもまた少ない。
つまり、現代の日本でたとえ多夫多妻が認められていたとしても、それを実践できる奴は極端に少ないって事だ。

まぁ奥さん一人に旦那が複数ってのだったら、経済的には十分やっていけそうだがw

つまりそういった経済的な理由などもあって、そうなったに過ぎず、神様が一夫一妻制が人のあるべき姿であると決めたわけではないと言う事だ。
だからしても良いとかいうのではないけどね。
少なくとも「現代日本」で生きていくのであれば、たとえそれが自分の価値観と合わなくても、法律だのモラルだのは守らなければならない。
なぜなら、そうしなければ生きていけないからだ。
人間は群れでしか生きていけない弱い生物であり、群れで生きていく以上は群れの「掟」には従わなくてはならないからだ。
そして、その「掟」がどうしても無理ならば、別の群れに移る事は禁止されいるわけではない。
それこそ、たくさんの女を妻にしてセクロスしまくって子供作りたい、その経済力にも俺にはあるという人であれば、ボビーさんの国にでも移住して帰化すれば良いわけだ。

あるいは、日本でも多夫多妻が認められるよう、法律を変えればいいのだ。
一夫一妻なんて、法律のうちでは「民法」といわれる、刑事罰の無い一番緩いものであって、憲法や刑事罰のある法律より変えるのは簡単だし、変えてはならないなんて決まりもない。
国民が納得するのであれば、法というのは変えても良いのだよ。
そこが左翼どもには分からないらしいけどねw

自分がするべき努力もせずに、掟に逆らうような事をするのは、左翼と同じだ。
だから現代日本においては、浮気や不倫は絶対にすべきでないし、擁護もできない。

ただそれにとらわれ過ぎて、気が狂うほど悩んだり恨んだりしている人が多いなぁと思ったので、割り切る方法としての「考え方」を提示している。
日本には「仕方ない」とか「しょうがない」とかいう、英語にはない言葉がある。
これはもちろん、自然災害の多い日本において、そういう人間の力ではどうしようもない事に対する絶望に、立ち向かい、立ち直るための方便として生まれたものだ(と思う)。
だがそれは、現代日本で「正しい」とされる価値観による「苦しみ」を和らげるのにも使えるのではないかと。

浮気された不倫された、離婚した。
俺はダメな人間だ、私は最低の女だ。
そう思い続けて生きるのも、その人の自由だが、特に子供が居る場合は、何の罪もない子供にまで迷惑が掛かる事になる。
ましてや、いくら理不尽で酷い仕打ちを受けたとしても、それで相手を恨んで殺したりでもすれば、それこそ子供が居た場合は、理由はどうあれ子供は犯罪者の子供になってしまい、いじめられたりするわけだ。
そういう行き過ぎた感情を抑える手段として、そもそも人間は一人の男性・女性しか愛してはならない、子供を作ってはならない、セクロスしちゃいけないなんてのは、単なる現代日本においての価値観であり、神様が決めた「絶対正義」ではない。
だから「しょうがない」「仕方ない」でとっとと嫌な事は忘れて、これからの人生を考えろということだ。

浮気した相手を許せとか、浮気した人間が反省する必要はないとか言ってるわけじゃない。
難しいかもしれないが、それはそれとして、周りのためにも行過ぎた感情は持つなということだ。
裁判にしろ示談にしろ、法律で定められた「決着」がついたら、それ以上は考えるべきではないということだ。
それは自分の精神にも良くないし、なにより周りの人間にとっても迷惑になるよという事だ。

人間はただでさえ一人で生きていけないし、どんな聖人君子であろうと、周りに一切迷惑を掛けずに生きるなんて不可能なのだよ。
だから日本人は極力「人様の迷惑」にならないように、気を使うし、それを一番に考えるのだ。
何も世話になった覚えがなくとも、会社で電話に出れば「お世話になっております」と言う。
何も迷惑をかけてなくても「ご迷惑でしょうが・・・」と前置きをする。
引越した先のご近所への挨拶で、何か品物を渡すときに「つまらないものですが・・・」と前置きをする。

これらは相手に対して、いわば「私はあたなに迷惑を掛ける事は一切しません」という自己防衛でもあるのだ。
「つまらないものを渡す方が失礼だろwww」みたいに、それをからかう皮肉的なお笑いのネタもあるが、それはあくまでネタであり、もし本気で言ってるのなら、日本人ではないw

話が逸れたが、何事も深く考えすぎないこと。
過ぎたるは及ばざるがごとし ですよとそういう体験をして現在も苦しい思いをしている人に言いたいなぁと思ったって話です。

北海道大地震&台風と日本人

北海道の方々のご無事と、一刻も早い復旧を願いつつ。

日本は古来より自然災害の多い国であります。
火山・地震・台風などなど。

海外からはそのたびに、日本人が略奪も暴動も起こさずに、規律をもって行動する姿が賞賛されます。
まるで敬虔な信徒のように。

しかしこれは間違いです。
日本人がどんな大規模な災害にあっても、略奪や暴動を起こさないのはモラルが高いからではありません。
必ずや国が助けてくれる、何とかしてくれるという「安心感」や「信頼」があるからです。
そしてそれに日本国は海外が絶賛するレベルで応え、実績を残してきました。
インフラの復旧の速さや、適切で素早い救助や援助など。

大規模な自然災害により、今も災害前の生活を取り戻せない方は大勢居ます。
ですが、生き残った被災者で、餓死するような方は居ません。
世界には、大規模な自然災害で被災したわけでもないのに、餓死する人間が大勢居ます。
つまり、日本国民というのは自然災害で被災してもなお、恵まれた生活ができるのです。
被災してない人間と比べて、不幸であり生活レベルが下がりっぱなしになるのは事実ですが、死んでしまうほどではないという事です。
いくらマスゴミが、被災者の「かわいそう」な姿を、政権叩きのために宣伝しようとも、多くの人には何とか我慢できるレベルの対応を国はしてくれるという風にしか写らないのですよ。

だかこそ、海外が不思議がるほどに規律を保った行動ができるのです。

日本全土が壊滅し、海外からの救援や援助しか望めない状況になれば、日本でも暴動や略奪は多発するでしょう。

そもそも略奪や暴動が一切起きてないわけではありません。
それらを行ったり、自分達だけが救援物資を多く受け取ろうとする自己中な連中は居るわけです。
ただそれらは、ニュースにならないだけです。
そういう連中が、いわゆる「在日」であったりする事が多いからですw
もちろん、生粋の日本人にも居るでしょうけどね。

何が言いたいのかというと、大規模な自然災害の前では「宗教」なんてものは、何の役にも立たないって事です。
神も仏も助けてくれないって事です。
最終的に頼れるのは、「人間」だけって事です。

他人を信じ、自分も他人から信じられるような言動をする事こそが、最終的に「群れ」の崩壊を防ぐのに一番重要であるという事です。
法律だのモラルだのは、それを分かりやすい形にしたに過ぎないのです。

これが海外が理解できない、災害時でも失われない日本人の「規律」の正体です。
カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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