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コピペまとめ系について

前回はあんな事を書きましたが、実はこのコピペ集ってのは結構面白いです。
特に「スカっとする話」「感動する話」「修羅場」「なごむ話」等々は、原則的には1億人の日本人の誰かが実際に体験した話です。
まぁ作り話もあるでしょうがねw

なので同じような話、どっかで聞いたような話というのは少ないし、本当に読んでいてスカッとしたり泣けたりなごんだりしますw
どこかの誰かのリアルの人生の話ほど、面白いものはないからです。

そもそも作り話って、そうそう面白いのは考えられません。
なぜなら、人は自分が見聞きしたもの、体験した範囲の事しか考えられないからです。
その証拠に、家に引きこもってロクに外にも出ず、誰とも関わらず、せいぜい小説だのアニメだの漫画だのしか見てないような人は、本当に面白い漫画なのかラノベなのかは書けないと、多くの有名漫画家や作家が述べています。

「事実は小説より奇なり」
という言葉もありますしね。

なぜ他人の体験談ほど「面白い」というか「興味深く」感じるのか?
それはこの地球上で、人間だけが「歴史」を持つ特性に関係しています。
人間以外の動物は、基本的に会話はできません。
まぁ簡単な会話はしているのではないか?と言われている動物は居ますけど(イルカとか?)、絵や文字なども使って、より正確に複雑な体験を、より多くの後世の仲間に伝えらえっるのは「人間」だけですよね?
人間は身体能力だけで言えば、最弱とも居える部類です。
同じ先祖を持ち、遺伝的にも近く、でも体の大きさだけで言ったら人間よりも小柄な「サル」にすら、素手では勝てないほど弱い動物です。
そんなホモ・サピエンスがなぜ地球上で一番繁栄しているかといえば、「高い知能」による情報量の多さと優れた分析能力の結果です。
つまり「歴史」を持てるからです。
「歴史」というのは、どこの国が西暦何年何月何日になになにをしたというものだけではありません。
ひとりひとりの人間が、短い一生の中で体験したものの「積み重ね」が「歴史」なのです。
だから他人の体験談の方が、作られた話よりも面白く、興味深く感じるのです。
それは実際にあった事であり、今後の自分にも起こる可能性が小説などの作り話よりも高く、そしてその時にどうすべきかの非常に重要な参考資料になるからです。

ここ最近、せっかく明治時代の人が、豪雨で川が氾濫してここまで水が来て多くの死者が出たという記念碑を建ててくれていたのに、誰も気づきもせずにまた同じ被害を出してしまった、みたいなニュースとかもありましたよね?
このように人間というのは過去の「歴史」を活用できないと、簡単に死んでしまう弱い生き物なのです。

だからこそ、「歴史」を捏造したり偏向したり、マウントを取るためだけに利用したりしてはならないと、常々訴えているのです。

冷たい言い方ですが、洪水被害の記憶を残すために記念碑を建てて、それで満足して終わってしまったのが、被災地の過去の人々の失敗です。
なぜ被害が出たのか?どうすれば良かったのか?
その歴史的事実から、原因を考えて対策を練る事をしなかったから、悲劇が繰り返されてしまったのです。

東北地震で被害を受けた建物を保存しようとか、いや取り壊そうとか、話題になります。
しかし一番重要なのは、「忘れない事」ではありません。
原因と対策をしっかり考える事なのです。
それが大勢の死を「無駄にしない」ために、一番重要な事なのですよ。

話が逸れましたが、人の人生の体験談ほど面白いものはありませんが、それは後の自分の人生に「教訓」として生かしてこそなのです。
もちろん、すべての話を常に覚えておいて、あるいは1話よむごとに、原因と対策とか考えるなんて、そんな面倒な事はできませんw
「親を大事にしろよお前ら、俺はこんな後悔をしている」といかいう話を呼んで、「ああ、俺も反省して明日からは親を大切にしよう」とか思って、その気持ちが3日ぐらいでなくなって、「くっそばばぁ!はよしねや!」になっても仕方ないです。
そしたらまた、別の感動話でも読んで、反省すれば良いのですw
それが自分のものになるまで、何度でも繰り返せば良いのですよ。

ただそういった体験談って、そうそうリアルで他人から聞けるものではありません。
でも今はインターネットがあります。
そういう話を沢山、いつでも好きな時に好きなだけ読める環境があるのです。
これを生かさない手はないのでは?というお話です。

Youtubeの2chまとめコピペ動画みたいなのにコメントしてる人へ

よくYoutubeには、恐らく2ch(今は5chですかね?w)に書き込まれた、匿名の人のスカッとする話や泣ける話や面白い話などなどを、まとめコピペ風に動画に仕立ててるのがあります。

そういう系のをたまに見ていて、コメント欄とか読むと思うことw

なぜか動画の作成者が、まるでその話の本人であるかのように、賞賛やら同情やらされてるのが見られる。
おかしくてたまらないw

こういった系の動画に出てくる悲惨な思いをした人、あるいはヒーローのような活躍をした人、感動の主は、すべて動画投稿者とは何の関係もない、別人ですよ?w

匿名の掲示板への投稿なのを良い事に、勝手に拝借して動画に仕立て上げて、それで再生数稼いで小遣い稼ぎしてる、いわばこういった系の話に出てくる「悪者」と同類の人間が動画投稿者の正体ですよw
2chで嫌われていた、まとめアフィサイトを作ってる人間の動画版ですよw
そんなクズに、すげーとかかわいそうとか、感動したとか賞賛するコメントをする人達が沢山居る。
おかしいでしょ?w

これがネットの闇であり、真実です。
そういうのが分からない人は、テレビや新聞に簡単に騙されてしまうジジババと同じです。

別に見るのが悪いとは言いません。
実際私も2chまとめサイトやまとめ動画は見ますし、それを見て感動したりスカッとしたりしてますからw
でもその感想や賞賛は、まとめサイトの管理人や動画投稿主に向けられるものであってはならないのです。
なぜなら、彼らもそれらの話に出てくるクズ人間と同類だからです。

感想を書かなくてもそれらを見るだけで、動画再生数やWeb閲覧数が回って、結局はクズの小遣い稼ぎに協力してしまっている。
お前も偉そうに言える立場じゃないじゃないかと言われれば、そうですねとしか答えようがありませんがw

ですからそういうサイトや動画を見る事、あるいは見て何か感じる事は否定しません。
嘘か本当かも分からない、匿名の人のそれらの投稿を見て、何も感じない人よりかは、遥かに良いですし、コメントの内容はだいたい「この人は常識のある、良い人なんだろうな」と思えるまともなものです。
だからこそ、そういう「正直者が馬鹿を見る」状態に一言言わずに居られないのですw

ネットはみなさんが思っているほど清廉潔白な世界ではありません。
マスゴミと同等か、それ以上に汚い世界でもあるんですよ。
一部のYoutuberとかバカッターだけがクズなのではありません。
見えないだけで、よーく考えれば「こいつもクズじゃね?」ってのは沢山居るのです。
それを承知の上で、うまく付き合う事が大切なのではないかと思った次第です。

東京オリンピックのボランティアが集まらない理由

まず人間というのは、名誉では食っていけません。
いくら賞賛されるような事をやっても、飯が食えなければ死にます。

従って、ボランティアは日々生活するので手一杯の人間には、とてもじゃないけどできない訳です。

もうひとつ。

そんな長期間・長時間無償で働かされたら、自分の生活が成り立たない人に無償労働をさせようとしてる側の問題。
東京オリンピックの運営が「仕事」である都庁の職員の一部や、日本オリンピック委員会の職員などは、当たり前ですが、その仕事しかしてないわけですから、給料が貰えなければ飢え死にしてしまいます。
ですからそういう人達に適切な給料が支払われる、それが東京オリンピックの運営予算から出されるのは当然でしょう。

しかし「名誉職」とも言える、一部の人間達はどうでしょうか?
一番有名なのは「森元首相」です。
彼は元大物政治家であり、しかも高齢であり、ぶっちゃけ無償で働いたって生活に困る事はこれっぽっちもないでしょう。
また経済界の大物、経団連の元会長とか、そういう人も名誉職で委員会の一員になってます。
そういった、本当に無償でボランティアで参加しても生活に何の支障もない連中に、何百万・何千万という報酬が支払われているのに、無償でそんなに長時間拘束されたら、生活が成り立たない若年層には無償労働をしてくれと言う。

「おい、ふざけんな」ってなって当然でしょw

東京オリンピックで金儲けができるマスゴミなんかも、この辺を全てスルーして、まるで現代の若者が冷たい人間であるかのように、あるいは単に説明不足という相互不理解によるものだと、まったく見当違いの事しか言わないw

そもそもボランティアって他人に強制された時点で、ボランティアじゃないんですよ。
それは単なる「勤労奉仕」です。
戦前の日本にあった、悪しき風習であり、これこそ何かって言うとすぐに「軍靴の音か聞こえてくる」とか言う某新聞社は批判すべきと思いますが、スルーw
大学に東京オリンピックのボランティアをさせるために、授業を休みにしろとか、もはや「学徒動員」ですよw
なぜこんな戦時中のような事をやっておいて、普段はそういう事に異常に反応するマスゴミさんたちはスルーするんですかね?
まぁ答えは簡単です。
自分らが儲かるから、スルーしてるわけですw

ボランティアに給料出せとは言いません。
ですが宿泊先の手配や宿泊費・交通費の全額支給ぐらいはやるべきですし、生活に支障がない範囲でできるように、もっと条件を緩くすべきでしょう。
そのぐらいの予算は捻出できるでしょ、ボランティア募集の広告に4000万円もかける金があるならw

日本人は馬鹿じゃないんですよw
一部の人間の金儲けのために、多くの人間が損をする。
そんな状態なのに、誰もおかしいと言わないし変えようともしないで、黙って餓死だの戦死だしていったり、あるいは移民・難民として他国に逃げる事しかしない無責任で無能な人達とは違うんですよw

オリンピックで金儲けを企んでる連中と同等かそれ以上の「知能」を持ってるんですよ、みんな。
そこをまずよーく認識して、そのうえでどうボランティアという名の奴隷を集めるか、考えてくださいねw

暴力と指導の違い 日本体操協会問題

今回の件に関して言えば、個人的には「暴力」とはそもそも言えないと思うわけです。

「暴力」というのは、理性で制御できていない「力」が「暴力」であり、世に言う「体罰」だの「指導」だので相手に痛い思いをさせるような事は、「暴力」と言うべきではないと思います。

私は「体罰」肯定派でもあります。
「殴ったね? 親父にも殴られたことないのに!」という某アニメの有名な台詞があります。
本当に殴ってでも正さなければならないほど、悪い事をしたことがないならともかく、そんな子供は居ないわけです。
口で言って理解できるぐらいなら、そもそも人間社会に「体罰」という言葉は無いはずなんです。

それらはすべて、理不尽で行過ぎた「暴力」だけになるはずなんです。
「体罰」と単なる「暴力」の違いは何か?

ひとつは叩く・殴る側がどういう気持ちかというのがあります。
「ここで殴ってでも言動を正さなければ、こいつの将来のためにならない」と「相手」の事を考えてのことなのか、「俺の言う通りにしないなんて許せない」などの「自分」の事を考えてのことなのか。
もうひとつはその程度です。
相手に対して、命にかかわったり障害が残るような怪我をさせるのは「体罰」ではなく「暴力」です。

そもそも本当に相手を思って振るう拳であれば、ブレーキがかかるので、相手が大怪我する事なんてないんですよ。
憎しみをもって振るうから、「虐待」と言われるように相手が死んでしまう、骨折などの重大な怪我になる事態が出てくるのです。

スポーツ会の「体罰」というか、拳をもっての「指導」がすべて正しいとは言いません。
なぜなら、「自分たちも先輩からこうされたから」とか、そういう恨みやストレス発散で後輩や指導している選手に「暴力」を振るうアホが居るのも確かだからです。
昔の日本の軍隊にあった「鉄拳制裁」なんかも、ほとんどがこれでしょうw

ここ最近の世の中は、こういった本当の意味での「暴力」と「体罰」や「指導」とを全部一緒にして考えてしまう節があります。
だから日本体操協会も、処分をあせって重くしたというのもあるでしょう。
反日左翼やマスゴミのせいなんですよ、半分はw
偉そうに批判してますけど、やつ等は。

日本はかつて、「教育」こそが強く正しい国を作ると思って実践し、実際に成果を出してきました。
欧米は植民地に対して「教育」を一切しない、むしろ「教育」しない「無知」のままで居る事を「強制」すらしました。
それが「反乱」などのを起こさせない「支配」しやすい人間を作るのに、一番効果的だったからです。
ですが日本は侵攻した欧米植民地のアジア諸国に、「教育」を施しました。
文字の読み書きであったり、四則計算などの算数であったり、あるいは戦い方であったり。
だから戦時中の日本の行いは正しかったとか、言うつもりはありません。
相手国の求めに応じて行った事ではなく、日本が勝手に押し付けた事であるのは事実だからです。
ただそれがうまく作用したにすぎないのです。
日本が敗戦する事によって。

話がそれましたが、「暴力」も「体罰」もいっしょくたにして、それらを排除しようとする輩が何を望んでいるのか?
躾もされてない、自分勝手で無知で無能なサルの集団に日本をしたいからです。
「教育」という国の根本を破壊して、将来起こりうるであろう日本への侵攻をやりやすくするためです。
あるいは日本の競争力や国力をそぐためです。

かつてイギリスが、清国の国力を削ぐのに「アヘン」を使ったようにねw

現代では「アヘン」で敵国民を堕落させるなんて工作は、当たり前ですが使えません。
なのでそれより時間はかかるが、確実に敵国民を堕落させ、無能にさせられる「教育の破壊」という工作を行っているわけです。

子供が死んでしまうような「虐待」や、自分がされてきた事への恨みやストレス解消のための、「指導」という名の「暴力」は、絶対に許すべきではないし、そういうのは排除すべきです。
ですが、「殴ってでも言動を正さなければ、こいつのためにならない」という種類のものは、規制すべきではないのです。

「虐待」や「暴力」なのか、「指導」や「体罰」なのかの見極めなんぞ、簡単に出来ます。
「教育」を破壊したいだけのマスゴミだの反日左翼団体だのの圧力に屈せず、また一般国民もそれらにうまく誘導されたり騙されたり洗脳されることなく、本当に損害になる事だけを取り除き、必要なものは残すというのをしなければ、日本はどんどんダメになります。
世界一安全で礼儀正しくて、すばらしい国だなんて、そんな嘘か本当かも分からない「海外の反応」系のサイトや番組に惑わされてはなりません。
それらは正しい「教育」あってこそなのです。

日本と西洋の絵に関する認識の違い

NHKスペシャルが「ねぶた祭り」を題材にしていたので、ふと思った。

ねぶた祭りの「みこし」(?)は、伝統的な「浮世絵」っぽい昔の日本の絵を立体的にしたものだ。

浮世絵は、西洋では今もなお高く評価されている日本独自の古典的な絵画(実際には版画だが)の代表である。
同時代の西洋の絵画と比べて、写実性に乏しい事もあって、日本ダメすぎと自虐する人も居るが、そうではない。

アニメや漫画もそうであるが、日本人が絵に求めるのは昔も今も「写実性」ではないのだ。
それは「誇張」された、絵でしかできない「表現」である。

浮世絵というのは、当時の「イラスト」だ。
日本の萌絵と言われる主流のイラストは、世界的に人気を博しているが、それは西洋には無い、思いつかない表現だからだ。
西洋というのは、今も昔も「写実性」を求める傾向が強い。
宗教画と言われるものも、「誇張」というのは薄めであり、「写実性」の方が強い。
また現代の「絵」である漫画も、アメコミと言われるものなんか見れば分かるが、非常にリアルな、日本で言えば「劇画」と言われる表現方法で書かれたものの方が多い。
もちろんスヌーピーや、あるいはディズニーなど「誇張」を重視した絵もある。
また日本にも「劇画」という言葉があるように、リアルさを追求した漫画もある。

だがその比率を見れば、今も昔も日本は「誇張」至上主義であり、西洋は「写実」至上主義であるのが分かる。

さて、この「誇張」表現だが、これも西洋と日本では認識が大きく異なる。
例えば西洋の有名な画家である「ピカソ」を見ればわかる。
もはや、何が書いてあるのか分からないほどまでに「誇張」された表現の典型である。
日本にはそのようなものはない。
なぜなら、日本人の好む「誇張」表現は、原型が何か分からないほどのものではなく、誰が見ても「ああ、これは人間を書いたんだな」と分かる「ギリギリの線」を超えない事を信条としているからだ。
これが、西洋の「誇張」表現とは違う、日本独特の基準であり、誰が見ても何を書いたのか分かるからこそ、世界で広く受け入れられて居るのだ。
日本のアニメや漫画の、目が大きい美少女とか実際に居たら気持ち悪いw
だが「女の子の顔」と誰が見ても分かる程度を、超える事は決してない。
ピカソレベルの誇張表現は、日本ではもはや「絵」ではないのだ。

万人が見て理解できるレベルを超えない範囲で、なおかつ「絵」でしか表現できない「誇張」を行う。
これが日本が浮世絵の時代から永遠と変わらない、伝統的な姿勢なのだ。

漫画やアニメというのは、言ってみれば現代版の浮世絵である。
だからこそ、浮世絵を見て驚き賞賛した当時のヨーロッパ人と同じく、現代でもまた欧米人が「アニメ!マンガ!」と騒ぐのだw

絵に関しては、浮世絵時代からその表現方法が顕著になったが、絵ではなく「像」で言えば、実は「リアル」より「誇張」を重視した姿勢は縄文時代とかに既にあった。
土偶とか言われるものだ。
土偶はリアルさには程遠い人形ではあるが、しかし一方で「これは女性をあらわしたものに違いない」とか、ギリギリ分かるレベルを保っている。
この時代から、「ギリギリ分かるレベルでの誇張」という価値観や信条があり、それがその後の大陸からの渡来人との混血を経てもなお、今の日本人の中に受け継がれているのだろうと思う。
リアルなものは、現実を見ればよい。
芸術とは、リアルでは決してできない事を、粘土を使った像や絵画で表現するものであり、しかしながら原型が不明なほどまで「誇張」してしまっては、それもそれで芸術ではない。
これが、古来より受け継がれる日本の伝統的な芸術観なのだと思う。
カウンタ
プロフィール

ウホッ!いい男

Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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