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仮想通貨に投資するのはアホ

何度も言っているが、仮想通貨を買う奴はアホである。

その理由を説明するには、まず「そもそも通貨とはなんぞや?」という事を知らなければならない。

通貨というのは、人類が誕生してからあったものでないし、文明が興ってすぐに出現したシステムでもない。

この世界は生き残りゲームのようなものである。
人間も含めた全てのプレイヤーは、食べなければ生きていけないという共通のルールがある。
なので全ての生命体プレイヤーは、いかに効率良く食料を確保するかという事に、全力で取り組んできた。
世代を超え、長い年月を掛けて特定のパラメータをアップ=DNAの変化=「進化」させる事で、勝ち残ってきたわけだ。

人間は、パラメータ的には最弱の部類に入る。
にも関わらず、このゲームの覇者として君臨できているのは、この基本的な「食料調達」を最も効率良く行える方法を手に入れたからだ。
それは「農業」という話ではない。
人間が唯一他の生命体より優れているパラメータである「知能」のことだ。
人間は、キャラクターメイクの段階で、それまであまり重要視されてなかった「知能」にほとんど全振りした。
これによって、「道具を作る」や「過去の経験や編み出した技術を後世に、より正確に細かく伝える」などなど、多くのほかの生命が持っていない「スキル」を手に入れる。
この「スキル」を使う事によって、食料調達というクエストのクリアに一日を費やすのが当たり前だった糞ゲーの遊び方から、抜け出す事ができたのだ。

つまり「食料調達」以外のクエストや行動ができるようになった。
この他の生命体が今まで遊べなかったクエストやコンテンツのひとつが、「物々交換」だ。
しかしこの「物々交換」には大きな問題があった。
それは対戦ゲームなどと同じように、相手が居なければできないこと。
また相手と自分のレベル差や操作技術に差がありすぎると、面白くないということだ。

全てのプレイヤーにいつでも、そして同じぐらいの実力の相手と対戦できるようにするために編み出されたシステム。
それが「通貨」だ。

「通貨」は「物々交換」をいつでも誰でも遊べるコンテンツへと、進化させたのだ。
「通貨」はこの例えで言えば、「明日は必ずお前と対戦してやるから」という「約束」や、あるいはどんなレベルのプレイヤーも取り揃えていて、いつでも相手してやれる組織との対戦ができる「権利」のようなものだ。

つまりそれ自体は自分と同レベルの、白熱した面白い戦いができるプレイヤーという実態ではないのだ。
お金それ自体は食えないわけだ。

それがいつでもどこでも確実に、食い物と交換できるという「信頼」や「保障」の付いた「権利」でしかないのだ。

つまり「通貨」はどんなに「いつでもどこでも食料と交換できますよー」と言ったって、「信用」や「保障」が無ければ、ただの紙キレと同じなのだ。
現実世界の通過は、これを「国」という人類の社会でもっとも大きくて、もっとも力がある組織が「保障」しているので、価値があるわけだ。
だから戦争や自然災害などで、「国」が傾いたり、「国」そのものが無くなってしまったりすると、単なる「紙キレ」に戻ってしまうのだ。

日本人は70年前に、それを身をもって体験したはずなのだが、残念な事にバブルが弾けるまで、その事をすっかり忘れてしまっていたというわけだ。
そして今現在、また戦争やバブルの体験を忘れて、仮想通貨なんてもんに熱中している。
まじで馬鹿なの?と思う。

「国」という人類の社会で最大にして最強の組織が「保障」してるわけでもなく、しかも紙キレすら発行されず、電気エネルギーの供給が経たれれば、跡形も無く消えてしまう単なるコンピュータの「データ」に、どうして何百万も払えるほどの「信用」ができるのか?
仮想通貨なんぞに投資してる奴は、課金ガチャゲーに何百万も注ぎ込んでる奴らを馬鹿にできないよ?w
やってる事は同じようなもんだからね。

つまり「仮想通貨」には「信頼」や「保障」がまったく無いと言って良いほど欠けているものであり、したがって「通貨」とは呼べないのだよ。

仮想通貨の前進のようなものに「クレジットカード」がある。
クレジットカードって、不正に他人に利用された場合、その分の支払いはしなくて良いって制度があるって知ってるかな?
私もクレジットカードに関わる仕事をした事があるので、知っているのだけだけどね。
だからこそ、クレジットカードは、仮想通貨と同じような性質を持っているにも関わらず、システムとして機能してるわけ。
仮想通貨にそのような制度ありますか?
ハッキングされて所有する仮想通貨を盗まれた人達に、取引所や発行元が現金をそっくりそのまま返してくれましたか?
某取引所は全額返金するとか言ってますが、まだそれが実施されたというニュースは聞きませんよね?
件の事件のターゲットになった仮想通貨の発行元は、犯人の追跡や盗まれた仮想通貨の換金停止の措置を止めたって、さっきこの事件の特集を、まるでハッカー戦争みたいに面白おかしく脚色してやってたテレビのドキュメンタリー(?)でも言ってましたよね?
その程度のものに、よくもまぁ未だに投資する馬鹿が居るもんだということ。

ビル・ゲイツが「仮想通貨に投資する奴は馬鹿だwww」と言ったというニュースも最近あった。
ビル・ゲイツは腐ってもプログラマーだ。
理論的な思考ができる人って事だ。
そういう人から見たら、「仮想通貨」なんてシステムはプログラムできないか、あるいは不具合だらけのシステムである事は、すぐに分かる。
実際のコンピュータシステムの話じゃない。
その仕組み自体が、あり得ないしおかしいと言っているのだ。

仮想通貨ってのは、言ってみれば通貨ではなく、株式や為替なんかと同じく、「チキンレース」ゲームだ。
崖に向かって、フルスピードで車を走らせ、誰が最後までブレーキを掛けないか、誰が一番ギリギリの所で止まれるか、それを競うゲームだ。
株や為替ってのは、それでもおぼろげながらでも見える人には「崖」の端が見えるが、仮想通貨は誰にも「崖の端」が見えない。
だから多くの人間が、簡単に崖から落ちてしまうのだw

バブル崩壊やリーマンショックやサブプライムローンや、あるいは第二次大戦の切欠になったニューヨーク株式市場の大暴落。
これらの原因を言い表すのに「信用不安」という単語がよく使われる。
仮想通貨にはこの「信用不安」どころか、「信用」そのもが無いと言っても過言ではない。
発行元に「国家」に匹敵する「力」が無い、現実の通貨では行われている偽造防止のための工夫すらも、一切行われてないと言っても良い。
だから簡単にハッキングされて盗まれて、資金洗浄されて、犯人一人が、あるいは犯罪組織が大儲けして、多くの投資家が泣き寝入りするような事態が、いとも簡単に起こってしまったのだ。

われわれ人類は、キャラクターメイクで「知能」に全振りするという新しいスタイルを生み出した。
そしてそれによって、様々な「スキル」を手に入れた。
しかし10万年の間に、どうやらその「スキル」の一部を活用できなくなってしまったようだ。
すなわち「歴史に学ぶ」ということw

「歴史に学ぶ」というのは、誰が悪いとかどちらが正義だとか、そういう事を議論するためのものではない。
これもゲームに例えるなら、アドベンチャーゲームなどで、以前どこでどの選択肢を選んだらゲームオーバーになってしまったかを覚えていて、次に同じ選択肢を選ばないようにして、ゲームクリアにより近づくために使う「記憶」のようなものだ。
「あなたの前に3つに分かれた道がある。どれに進みますか?」に対して「左に進む」をしたら、落とし穴に落ちてゲームオーバーになってしまったというのを、「左に進むなんて馬鹿じゃね?www」とか「左に進んでゲームオーバーになったお前には、罰金として障害俺に謝罪と賠償をする義務があるwww」とかやってるうちは、いつまでたっても正しい道には進めないでしょうねってこと。

祖先が残した遺伝子レベルで「知能」に全振りするというキャラクターメイク方法や、それによって得られた「スキル」の詳細や使い方などを懸命に残して伝えてるのに、それを見ない・聞かない・活用しない。
こんな事をしていれば、いずれは別のキャラクターメイク方法を思いついたプレイヤーによって、人類はゲームの覇者の座から引きずり下ろされるか、あるいは自ら自滅して消えてしまうだろう。

大谷5号ホームラン

メジャーリーグで大活躍中の大谷選手が、本日5号ホームランを打ったらしく、ネットでは即話題に。

こういうのがあると、必ず「大谷スゲー」→「日本人スゲー」→「日本人な俺スゲー」ってアホか。
すごいのは「大谷」であって、お前じゃないwww
と言うのが出てくる。
まぁ一理あるし、日本人というのは「謙虚」であることが尊ばれるという風習が強いので、そういう意見が出てくるのも分かる。
しかしながら、「謙虚」であれという日本人独特の価値観から出てる意見でない事の方が多い。

だいたい、こういう事を言うのは「反日」とか言われるやつ等だ。

私は、そういう連中に対してこう返したい。

「大谷がすごいのであって、日本人がすごいわけじゃない」
と言うなら、おめーら反日が言う事も、
「戦時中の一部の日本人や軍の上層部が悪いのであって、日本人全員が悪いわけではない。ましてや当時生まれてすら居ない今の日本人の大部分が、それに負い目を感じたり謝罪を求められたりするのはナンセンスだ。」
とねw

「○○の起源は韓国ニダwww」と彼らはよく言うが、1万歩ぐらい譲って仮にそれが本当だったとしても、君らの先祖の一部がすごかっただけで、朝鮮民族がすごいという話にはならないよね?大谷賞賛を批判する君らの理屈からいけば。


大谷選手がメジャーで大活躍する事で、まるで自分も優れた人間であるかのように勘違いするのは、確かに行き過ぎであろう。
だがそんな事を本気で思ってる日本人なんて居ない。
君らと同じ価値観で日本人を語ってもらっては困る。
大谷選手や、その他の「日本人」が海外で活躍する事で、「よーし、自分もがんばろう」って気になるとか、純粋に同族の成功を喜ぶとか、ただそれだけなのだよ。

戦時中にドイツと同盟を組んでいたにも拘らず、迫害されていたユダヤ人を5000人以上も助けた人が居たとか、植民地にされたと言われている台湾で、今も活躍する大規模なダムを作って現地に大きな功績を残した人とか、帰還命令や武装解除命令を無視して、インドネシアの独立のために武器を横流ししたり、一緒に戦って戦士した兵士が少なからず居たとか、そういう話に対する海外の高評価を見て、ホルホルしている日本人を馬鹿にしたり批判する。

たしかにそれを真に受けて、日本人は世界で一番高潔な民族だとか、その日本人である自分が誇らしいとか、本気で思っちゃう人が居ないとは言わない。
だが多くの日本人は、そういう記事を見て感じるのは、「高潔な先祖に恥じない言動を、現代の日本人は、自分はできているだろうか?」という自省や、ご先祖様達が築き上げた良い評価や素晴らしい行いを無駄にしない言動を、自分達は心がけないといけないなという自戒だろう。

先祖の功績の上にあぐらをかいて、堕落しきっている漢民族や、ありもしない功績をでっち上げるような事までしないと、自尊心や精神の安寧が持てない朝鮮民族と、同列で語らないで欲しいのだw

大谷選手の活躍は、純粋に同じ日本人として嬉しい、元気をもらえる、勇気づけられる、自分もがんばろうという気になれる。
そういったポジティブな気持ちになるというだけであって、それを優劣に利用しようとか、そもそも優劣を語る材料にしようなどという日本人は殆ど居ない。

ちなみに書いていて思ったが、私もよく日本人と海外の人の違いを、まるで過去や一部の日本人の活躍や功績で優劣を語るような事を良く言ってるじゃねーかと印象を持たれるなぁと思ったが、弁解をさせてもらえるなら、私がそれを言う時というのは、先に他からのネガティブな批判・・・というか誹謗・中傷のようなものが話題になった時だけである。
つまり「反論」であって、何も誰も言ってないのに、自分からそれを言いふらして良い気分に浸るなとどいう、どこぞの人達のような事はしない。

例えば、戦時中の日本の、海外でも話題になるような素晴らしい行いについても、それはあくまで結果論であって、あるいは「一部」の話であって、それによって戦時中の日本は何も悪くなかったなどと言った事は一度も無いし、思った事もない。
日本がアジアに侵攻して、欧米列強を追い出した事が、アジアの独立につながったとか本気で言う奴も居るが、私にしてみれば、それはあくまで結果論でしかなく、正しくは無いというスタンスだ。
もしあのまま米国が折れて、日本に圧力を掛けるのをやめ、戦争にならなかったり、枢軸国側の勝利で終わっていれば、おそらくは今でもアジアは日本に占拠されたままだったと思う。
欧米の植民地支配よりは、いくばくかマシであるというだけであって、「日本人」と表向きはされた朝鮮人や台湾人も、差別に苦しむ2等国民扱いだったと思うし、独立の約束をされた他のアジアの国々も、のらりくらりと交わされるか、独立国家とは名ばかりの、満州のような傀儡政権の国ばかりになっていただろう。
今でこそ、誰も差別する人は居ないどころか、差別があった事すら知らない琉球という日本ではない独立国家だった沖縄も、あのまま日本が戦争に勝ってた日には、今でも「琉球人」としての差別は残ったと思う。

話が逸れたが、過去の事であれ、現在進行形で起こっている、日々の様々なニュースであれ、それを人種の優劣や勝敗のネタにするのが、おかしいと思うのだ。

「罪を憎んで 人を憎まず」という言葉が日本にはあるが、歴史やニュースというのは、そうあるべきなのだ。

劣等感や優越感というのは、誰にでもある。
もちろん日本人にもある。
だからそういう「単語」が存在するわけだ。
それは「生物」としては、当然の事であり、聖人を目指して修行するような宗教家でもない限りは、無理に隠したり抑えたり排除する必要は無いとも思う。
それが「生き延びる」「生き残る」原動力になるのも、また真実であると思うからだ。

ただそれらは、あくまで「自分の中」だけで行うべきだ。
もちろん、本当にその人のためになる苦言や、お叱りみたいなのは、しても良いし、素直に聞くべきだ。
心の中で「コノヤロウ」とか思っても、表向きは、「なるほど、申し訳ございませんでした」と言うべきであろう。
自分に対する苦言や批判というのは、例えそれが理にかなっていても、すぐに受け入れるのは難しい。
だが、「はぁ?何言ってんだこいつwww」みたいにまったく無視するのと、心の中ではそうは思っても、「悔しいが理にはかなっている」と思うのとでは全然違う。
後者は時間が掛かっても、何かしら改善に繋がるものだ。

一番分かりやすい例が「親に対する気持ち」ではなかろうか。
反抗期のまま、何も反省せずに育ち、今でも「親は糞」とか思ってる人って、他人から見ても「君の親は酷いね、同情するよ」と言われるような親でない限りは、「こいつ、何時まで反抗期やってんだよwww」と笑われるのがオチだ。
たいていの人は、「親から離れて一人暮らししてみて、はじめて親のありがたさが身にしみた」とか、「自分が結婚して子供ができて、親となってみて、はじめて親の気持ちが分かった」みたいな感じで、反抗心が親への感謝や敬愛に変わるのが一般的だろう。

人間の優劣なんてものは、ささいなものだし、人間が判断できるものではない。
同様に完全な正義や悪なんてもんも、この世には存在しない。
人間は神にはなれない。
聖人にすら、実はなれないのだよ。
だからといって、それに近づく努力をしないとか、そういう努力を馬鹿にするつもりもない。
それはそれで、私はそういう人が居たら素直に関心するし、尊敬する。

それが「大谷」フィーバーの、正しい説明ではないかと思うという話。

ライトノベルと小説の違い

ライトノベル原作の、2・3年前のアニメ化作品を、たまたま見返す機会があって、ふと思った事を。

ライトノベルとは、直訳すれば「軽い小説」となるだろうか。
つまり「小説」の1分野である。

しかしノーベル文学賞にノミネートされるような、専門家の高い評価を得るに至る作品はない。
同じ「小説」でありながら、何がライトノベルと村上春樹の作品との違いを生んでいるのか?

ライトノベルはよく馬鹿にされるが、「じゃあお前は書けるのかよ?」って言われたら、「おお、こんぐらい簡単じゃん」と実際に書いてみせられる人間は、ほぼ居ないw

よくネットの掲示板に掲載されるような、SSというライトノベルより更に簡易な「小説」であるものですら、まとめサイトに取り上げられるようなものは、誰にでも書けるものではない。
文章を書く事を仕事や趣味にしたいと思って、それなりに練習や努力をしている人でなければ、書けないのだ。
だが同時に、「それなりの努力」をしている人なら、才能なんぞなくても書けるとも言える。

これが「ライトノベル」がノーベル文学賞にノミネートされない理由だ。
真に高い評価を受ける人間というのは、「努力」はもちろんだが「才能」も必要になってくるのだ。

ただいくら「才能」があって、「努力」している人でも、「それなりの」努力では超一流にはなれないし、経験や実績など「時間」も必要になる。
イチローは最初からイチローではなかった。
高校時代までは、ほとんど「無名」であったわけで。
だが、いまや「世界」レベルの超一流選手だ。
高校時代に既に「一流」と言われて、ドラフト1位でプロ野球に入った人でも、イチローレベルに到達した人は少ない。

これは、最初から「小説家」としてデビューせずに、「ライトノベル」作家としてデビューした人でも、イチローのように超一流の、それこそノーベル文学賞を取れるような人が居るかも知れないという事を示唆している。

そうなるには「本人」の「才能」と「努力」が一番大切なのはもちろんだが、周りの多くの人間の「協力」も必要になる。
誰も見ない、読まないでは、評価しないでは、才能がいくらあっても、それが開花する前に本人が「努力」を止めてしまう事もあるだろう。
ライトノベル作家を超一流のノーベル文学賞作家や芥川賞作家にするのは、読者や出版社の担当など、多くの人間の「協力」も必要だということだ。

今のように、読者も出版社も、「しょせんはライトノベルwww」なんてやってたら、才能も開花しない。
また作家自身も「しょせんはライトノベルwww」と思って活動していては、イチローにはなれない。

それと、ノーベル漫画賞というのが無いので出てこないが、ノーベル文学賞を取った作品や作家より、ずーっと面白く、深い作品の漫画も私はあると思っている。
さすがに知る限りのライトノベルで、そこまでの作品はお目にかかった事はないが、大いなる才能があるかも知れない人は居ると思う。

私は、読者が、出版社が、そしてなにより作家自身が、「しょせんはライトノベルwww」という考えを捨て、もっと自信を持って、更なる高みを目指す「努力」をして欲しいと思う。
それが「ライトノベル」を、文学の1分野として、世界的に定着させる事になると思う。
そうなれば、馬鹿にされる事もなくなるし、売り上げももっと伸びるし、収入も増えるんじゃないかなぁと。
胸を張って「ご職業は?」と聞かれたら、「ライトノベル作家です(ドヤァ)」って言えるようになるんじゃないかとw

折り紙とMADE IN JAPAN

ネットの海外の反応や、外国人に関する和む話系などを見ていると、必ずと言って良いほど出てくる「折り紙」にまつわる話。

そういうのを見ていてふと思った事がある。

MADE IN JAPANと言えば高品質の代名詞とされているが、日本人が優良人種だからそうなったわけじゃない。
人間の能力なんてのは、国や民族に関わらず、ほぼ変わらないわけで、人種に優良も不良もない。
ではどこで差が出るのか?

この差を、トランプみたいな典型的な欧米の馬鹿に説明するのに、もっとも良い題材が折り紙ではないかと思ったのだ。

折り紙で有名なのは「鶴」であろうか。
鶴の折り方は、プロの折り紙師みたいなのでなくても、老若男女だれにでも折れる。
だからこそ、折り紙の代名詞にもなっているのだ。

ただ欧米人と日本人に、折り鶴を折らせたら、たぶん欧米人のはいびつな鶴になると思う。
日本人は、たとえ折り紙をそんなに得意としない人、子供のころに一度ぐらい折った事があるかなぁ程度で、折り方も忘れてるような人でも、ある程度の綺麗な形の鶴を折れると思う。

この差が、日本車とアメリカ車の差を説明するのに使えるのだ。

なぜ同じ紙を使い、同じ折り方をしたはずなのに、欧米人の鶴はいびつになり、日本人の鶴は均整の取れた美しい形とは言い過ぎかもしれないが、まぁ手本により近い形になるのか?

それは「集中力」と「妥協」の差なのだ。

恐らく日本人の多くは、より正確に折ろうと、寸分のズレも許さず折ろうとするだろう。
対して欧米人は、もともと「大雑把」と言われるように、多少のズレは気にならないか、こんぐらいは良いだろうと修正しないだろう。

しかしこの僅かなズレが、積み重なると完成品にモロに出てきてしまうのだ。

綺麗な鶴を折るには、紙と紙の端を寸分のズレもなく、きっちり合わせて折っていかなければならない。
この「集中力」と「妥協」を許さない気質が、MADE IN JAPANを高品質の代名詞とした一番の理由なのだ。

多少ネジ穴がズレてようが、フレームが歪んでようが、「大して性能に差なんかでねーよwww」と、そういう作り方をしてるから、アメ車はデカイだけで燃費もパワーも、そして耐久度も日本車に負けるのだ。

ちなみに昔、プラモ狂四郎とかいうプラモデルの漫画、いわゆるゲームセンター嵐のプラモデル版みたいなのが流行った事があるが、その時に外国製のプラモデルは日本製のプラモデルのようにきっちりしてないので、削ったりしないと嵌らないとか、とにかく作るのが大変と聞いた事がある。
欧米人の大雑把さを示すエピソードのひとつであろう。
同時に日本は子供のおもちゃにも、一切の妥協を許さないという価値観の違いであろうと思う。

日本は欧米と比べて道路が狭く入り組んでおり、アメ車のような大型の車は向かないとか、左ハンドルのまま輸出してくる傲慢さが気に食わないとか、そういうのもあるが、ならばアメリカ本土でもアメ車が売れないのはなぜかという理由には、それだけではたどり着かない。

恐らくだが、材料から部品加工から組み立てまで、全て日本企業と日本人でアメ車を作らせたら、性能も燃費も頑丈さも、全ての面において1割とかアップすると思うw

まぁ最近は、日本の企業の製品も、MADE IN CHINAばかりになってきているので、品質はその分落ちてきている。
いま私が履いてるパンツとか、タグ見るとMADE IN CHINAだし、つい最近壊れて新しくかった日立のビートウォッシュとかいう、いま一番の売れ筋の洗濯機も、側面見たらMADE IN CHINAって書いてあったしw

日本人は手先が器用だとよく言われる。
それは恐らく、箸を使って食事をする文化が大いに影響しているのだろう。
だが箸を使って食事をする文化があるのは、日本だけではない。
中国や朝鮮半島も、食事の時は箸を使う。
すなわち、中国や韓国も日本人のような一切の妥協を許さないという精神があれば、ナイフとかフォークとか、子供でも簡単に使える道具でしか食事してない欧米人より、高品質なものを作れる可能性が高いのだ。

それと欧米人に言いたい。
日本人は生まれたときから箸で食事してるわけじゃない。
固形物が食べられるようになって最初に使う道具は、やはりスプーンやフォークだ。
箸を使う事による、「集中力」や「手先の器用さ」は後天的に備わるもので、日本人でも欧米で生まれ育って、欧米式の食事をしてれば、不器用になるw
冗談だろうが、日本人は遺伝子レベルで俺らとは違うんだと言ってるのを良く見かけるが、そんな事はない。
遺伝子レベルでの人種や民族の違いなんぞ、後天的に会得される技術に比べたら、ささいなものなのだ。

何か新しい技術を生み出しても、すぐに日本が真似して、そしてより高性能なものを作ってしまうと嘆くが、それは君ら欧米人が怠慢だからそうなってしまうのだ。
トランプは、日本を脅迫してる暇があるなら、自らの怠慢を反省し、「モノヅクリ」に対する姿勢を改めさせるべきであろう。
アメリカを再び偉大な国にしたいなら、まずそこからはじめるべきだ。

企業にとってコストや利益を考える事は、もちろん大事だろうが、それだけではダメだって事だ。

日本の英語教育がダメな理由

英語が堪能な芸能人シリーズみたいなYoutubeの動画を見て ふと思った事がある。
日本の「学校英語」がまったく役に立たないのは、「翻訳」教育だからななのではないかと。

海外で子供の頃に生活していたり、それなりの期間の留学経験のある人は、英語が「話せる」という。
しかし日本でしか生活しておらず、日本の「学校英語」の勉強しかしなかった人は、英語が「読める」レベルには到達できるかもしれないが、英語を「話せる」レベルには決してならない。

なぜか?

まず自分たちが母国語を話せるようになった経緯を考えてほしい。
赤ちゃんがどうやって、日本語を覚えるか?
赤ちゃんというのは、両親の話す言葉を真似する。
両親が言う言葉を、トーンやイントネーションなども含めて、「音」として真似をするのだ。
そしてそのフレーズを、いろんな場面で使い、あるいは相手がどういう場面でよく使うのかを、「イメージ」として覚える。
こうして次第に、母国語が「話せる」ようになるのだ。
だから子供は親の口癖などを、そっくりそのまま多用するのだ。
ある程度年齢が進んで、親以外との会話や生活が増えれば修正はされるが、親の「物真似」が母国語マスターの第一歩である証拠であろう。

また、子供の方が外国語や方言とか覚えるのが速いというのは、大人と違って頭の中で「翻訳」をせず、イメージとしてそのまま真似したり聞いたりするからだ。
私は方言が無い「標準語」圏で生まれ育ち、海外や方言のある地域での生活経験が無い。
よって、「標準語」の日本語しか分からない。
しかし「関西弁」は問題なく聞き取れる。
なぜなら、テレビで関西弁が子供頃からよく流れていたからだ。
同様に、地方の「方言」が強い地域で生まれ育っても、標準語が聞き取れたり会話できたりするのは、学校で標準語の「国語」教育を受けたからではない。
テレビやラジオや、そういったものから「標準語」が流れていたからだ。

このことからも、日本の学校英語教育のように、母国語と英単語を1対1で辞書で引いて覚えるみたいなのは、はっきり言って「使える英語」という観点からは、まったく無意味であるのが分かるだろう。
単語の日本語での意味や、綴りや文法なんてのは、会話をする上で知っていなければならない事ではないのだ。

もちろん「会話」以外に、「読み書き」は現代社会を生きる上では必須である。
少なくとも日本をはじめとした「先進国」では、それができなければ生活に支障が出る。
なので英単語の綴りを覚える事は、まったく無駄とは言わない。
しかし「会話」をする上では必須ではない。
文法も英単語の日本語での意味もだ。

日本の英語教育は英語を日本語に翻訳する仕事を目指す人には良いかもしれないし、あるいは英語という言語を学問として何か研究したりする人向けの教育であって、英語で誰かと会話ができるようにする教育ではないのだ。

そんな事をしておいて、日本人は英語ができない。
もっと英語教育を強化すべきだ。
小学生とかのうちからやれば、日本人ももっと英語ができるようになるんじゃないかと、見当違いの議論をしている。

翻訳家や通訳を育てたいわけでないなら、根本的に英語教育を見直すべきであろう。
少なくとも、今の日本の学校英語の教育は、「英会話」をマスターした人が、更に読み書きや、あるいは翻訳や通訳の仕事を目指す場合に行うものである。

英語が使える事を、「英語が話せる」というように、まずは「会話」できるようになる事が、外国語を「使える」ようになる事の第一歩であり、もっとも重要な事なのだ。

英語の読み書きができるだけの文科省の役人や、大学の、英語や英語を学問として研究しているような専門家で議論するから、いつまでたっても「話せる」英語教育ができないのだ。

通訳・翻訳家・英語を言語学として研究する専門家を育てるための教育を止めないかぎり、日本人の英語力=英語が話せるレベルの人は増えない。
英語が「話せる」ようになって、更にステップアップをするための教育として、高校や大学などで今の「翻訳」英語教育を行えば良い。
小学校なり中学校なりでは、「辞書」を使わなければならないような授業は、止めるべき。

これが日本の学校英語教育の根本的な誤りだと思ったという話。
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Author:ウホッ!いい男
異世界転生を待ち続ける中高年のおっさん

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