別に熊本の女性市議が酷いのが多いとか言いたいわけではないです。
なぜ政治家というものは、官僚や地方自治体の職員に偉そうなのか?について。
政治家はテレビドラマにあるような、一般人に対して「先生www」なんて言われてヘコヘコされません。
なぜかって、そんな事をさせたら当選できない、政治家としての地位や特権を簡単に失ってしまうからです。
選挙の時だけ、一般人にヘコヘコしてるように見えますが、常日頃から有権者にはヘコヘコしなければならないのです。
よほどのドMでなければ、精神が崩壊してしまうでしょうw
その積もり積もった鬱憤を、唯一政治家に逆らえない(事になっている)公務員で晴らすのです。
役所の職員どもは、選挙で選ばれたわけでもないのに、非常に強大な権力を持っています。
有名な話ですが、中央省庁に入った新人が、自分より10歳以上も年上のどっかの企業のお偉いさんが来て、タダでいろんなものを就職祝いでくれたうえに、今後ともよろしくとかヘコヘコしていった、これは狂ってしまうわけだと思ったというのがあります。
そういうのを知っているのです、政治家は。
自分たちには、「先生www」とか言っておきながら、とても先生扱いとは思えないような、まるで自分の部下か奴隷のように物を申してくる、しかも金貰ってるから逆らえないのに、官僚にはヘコヘコしやがる。
官僚はよほど悪い事をしない限りは、クビになる事はありません。
地方自治体の職員もそうですね。
だから政治家は役人に厳しく当たるのです。
つまり、自分らは一般人にヘコヘコしなければ地位も権力も維持できないのに、こいつらは一般人をヘコヘコさせても、地位や権力を維持できる、ズルいじゃないかと言うわけです。
大臣と官公庁の衝突なんて、珍しくもないでしょ?
あれはどっちもどっちなんですよ。
政治家は妬み嫉みで必要以上に官僚をいじめる。
官僚は官僚で、政治家と違って誰に頭を下げなくても、誰もが頭を下げる地位や権力を維持できるので、政治家を見下してる。
見下してる連中に、アゴで使われたらブチ切れて当然でしょうw
だからありもしない疑惑とかをリークしやがるんですよ。
まぁどっちもクズですねw
お互いがお互いを見下し、憎んでいるのが政治家と役人の関係なわけです。
大物政治家が警察に圧力かけて、自分や親族の不法行為を揉み消すなんて、できっこないのですw
そりゃ警察出身の政治家だったら、可能かもしれないですがね。
そうでもなければ、お互い敵だと思ってる相手に、有利な事なんてするわけがない。
そんな事をすれば、すぐマスゴミにリークされて政治生命終わりですw
なんら違法行為が無いモリカケが、疑惑があるとネタを提供したのも官僚側ですよね?w
稲田を追い落としたのも、防衛省の役人ですw
誰も監視できてないし、誰もクビにする事ができない、強大な権力を持つ人間。
それが官僚や役人なのです。
ちなみにマスゴミもそうです。
この2者が結託したから、モリカケなんてもんが出てきたとも言えます。
政治家の権力なんて、しょせんは有権者の気分次第でどうにでもできるのですよ。
誰も監視できず、やめさせる事もできない権力をどうするのか?
これが人類社会の未来の課題でしょう。
海外でも取り上げられた、熊本の女性市議による、議場への規則で禁止されている乳児同伴入場の強行。
なぜか賞賛するマスゴミが多いですw
これを賞賛するってことは、自分の主義・主張に合わない法や規則は、守らなくても良いと言ってるも同じなんですけどね。
そもそも市議というのは、市の条例などの法や規則を作るのが主な仕事です。
法や規則を作る側の人間が、自ら法や規則を破る。
それでどうして、市民に市の作った法や規則や条例を守れと言えるのですか?
少子化だとか子育て支援だとか、そういうものとは別の問題なのですよ、今回のこの市議の行動は。
それを分からない人が多すぎる。
私は常々、こういった左翼と言われる馬鹿どもの身勝手で自己中な行動には苦言を呈しています。
テレビを買ったら必ずNHKに受信料を払わなくてはいけない、たとえ全く見ないとしても。
そう法で決まっている以上は、それが悪法だから守らなくても良いはダメだとも言っています。
破るのではなく、変えるのが正しいやり方です。
そもそもマスゴミどもは、このNHKの受信料契約拒否については賛同しないでしょう。
同じ悪法だから守らなくても良いというスタンスの人を、擁護はしてくれないでしょう。
だから信用されないし、たとえ正論を言ったとしても聞いてもらえないのです。
てめーに都合の良い時だけ、法を破り、それでいててめーに都合の良い法は守れと言う。
戦前までの日本は、一家に2人以上の子供が居るのは当たり前でした。
5人・6人兄弟なんて今ではテレビで取り上げられるぐらい珍しいですが、戦前の日本では珍しくもなんともない光景でした。
その時代にどうやって子育てをしていたのか?
基本的に昔の日本で一番多い職業は「農家」です。
農家の嫁は、てめーの子をおぶって野良仕事をするのも当たり前でした。
子供が乳離れした後は、先に生まれた他の兄弟が面倒を見たのです。
あるいは一緒に住んでいたお爺さんやお婆さんや、まだ未婚の叔父・叔母など親族や近所の人がみんなで子供の面倒を見ていたのです。
だからこそ、子沢山のお母さんでも仕事ができたのです。
ぶっちゃけ、昔は幼稚園や保育園も無いし、日本ではあまり居ませんが欧米社会に居るようなベビーシッターだって居なかったわけですよ。
それでも人類は、今よりはるかに沢山の子供を育てられたわけです。
今よりはるかに大変な仕事をやってこれたのです。
たった一人の乳幼児さえ、規則を破ってまで同伴させないと育てられないなんて、おかしいわけですよ。
てめーの主義・主張・・・というかもはやワガママのために、子供を利用してパフォーマンスしているに過ぎないのです。
もちろん昔と今とでは社会の仕組みも違います。
でも親族が一人も居ない人なんて、そうそう居ないでしょう。
あるいは女性の権利を叫ぶこの馬鹿議員と同じ種類の人間どもは、男性も育児しろとか言ってるじゃないですか。
つまり女性議員の夫が、妻が議会に出席している間は子供の面倒を見ろと言うべきでしょう。
離婚したとかなら話は別ですが、それでも離婚はてめーの責任であって、他の議員には関係ありません。
人間社会というのは、動物で言えば「群れ」と同じなのです。
「群れ」は固体がそれぞれ好き勝手に行動していては、成り立たないのです。
すべての固体が、何かしらの我慢をして、統一した行動をする事で初めて「群れ」として機能するのですよ。
より多くの固体が、より少ない我慢で済むように作られた、群れの行動規範やルール、それが人間社会では法であり規則であるわけです。
だれか特定の人を苦しめようとか、意地悪しようとか、そういう目的で作られたわけではないのです。
左翼どもはそう思ってるかも知れないですけどねw
別に法やルールや規則を変えるなと言っているわけではありません。
憲法9条を宗教の教義か何かのように、絶対に変えてはならない神聖不可侵なものなどと言ってるのは、左翼のほうですけどねw
時代や状況に合わないものは、積極的に変えた方が良いとさえ思います。
しかしそれは、正規の手続きを踏んで行われるべきです。
時代や状況の合わないからと、勝手に破ってうやむやにしたり、勝手に無いものにしたり、そういう事は許されるべきではありません。
正規の手続きとは、何をどう変えたいのか、なぜ変える必要があるのか、納得の行く説明をきちんと行って賛同者を集めて多数派を構成して、それによって議会なりに変更案を提出して審議して採決させる事です。
これが民主主義社会における、正しい法の変え方です。
都合の良い時だけ「民意」などと、多数派であるというデータも根拠も示さずに「民主主義」を掲げるくせに、少数派の時はマイノリティーの意見を無視するなとか、差別だとか言って自分の主義・主張を押し通そうとする。
だから世界中で支持を失いつつあるんです、リベラルだか左翼だか差別利権団体だか自然保護だの人権だのの団体は。
たとえそれがどんなに正しい事でも、賛同を得て多数派にならなければ、それは正しく無い事なのです。
「悪」なのです。
なぜなら、少数の意見が多数を支配するというのは、「独裁」だからです。
左翼の方々は独裁者になりたいのですか?
おろかな民衆は、優秀なわれわれが指導し導いてこそ人類は生き残れるとでも言いたいのですか?
独裁と何が違うのですかね?
熊本市議会の「関係者以外立ち入り禁止」の議場のルールを、例外的に議員の実子である乳幼児に限り認める事にするのかどうかと、今回の議員の行動とはまったく別問題というのをまず認識しましょう、議員本人もマスゴミも。
平気で規則を破るような人の主張を、誰がまともに聞いてくれるのか、常識で考えたら分かると思います。
また熊本市議会も、このようなワガママに流されないようお願いしたいです。
在日どもは、こうやって特権や優遇措置を勝ち取ってきたのです。
だから頭に乗るのです。
少数派が主義・主張を通す場合は、多数派に賛同してもらう必要があるのです。
それが民主主義であり、法治国家です。
少数派のやつ等がうるさいからとか、ウザいから認めたくないけど認めてやろう、それで静かになるなら安いもんだ。
こういう考えが、一番よくありません。
今回の件を切欠にして、渋々議員の実子である乳幼児は例外として同伴を認めるなんて事にしたら、それこそ味を占めて後から後からワガママを言い続けますよ?
それらを全て聞くんですか?
それで多数派である無関係な多くの人間が、我慢を強いられたり苦労をさせられたりしても良いのですか?
すくなくとも議会の議員の過半数が、たしかに君の主張には一理ある、変更を認めようとなるまでは、どんな規則だろうが守るべきなのです。
てめーだけが正しいと思っている事は、世間では単なる「ワガママ」なのです。
その「ワガママ」を押し通すために規則を破るような人間、議員失格ですよ。
下らない漢字の読み間違えなんぞで、議員の資質が無いとか叩かれるより、はるかに叩かれなきゃいけない事案です。
だって法を守る気が無い議員なんですから。
なぜ叩かれないばかりか、逆に賞賛されるのか、理解できません。
この辺りの矛盾、どう説明してくれるんでしょうかね?件の議員や賞賛してるマスゴミは?
最近、ネットで「まだ20代なのに癌で余命を宣告された」とか「婆ちゃんが死ぬの嫌だって言ってる」とか、そういうのを立て続けに読んだので。
「死」というのは、どんなに怖がっても嫌がっても絶望しても、逃れる事はできません。
現代に至るまで、全ての人間が、金持ちであろうが貧乏人であろうが、聖人であろうが大悪党であろうが、絶世の美女であろうが超絶なキモデブだろうが、みな等しく死んでいったのです。
科学技術や医療が飛躍的に発展して、大昔には考えられなかったような長さまで寿命が延び、治らなかった病気が治るようになりましたが、「死」だけは克服できていません。
大昔の王様よりはるかに強大な、世界的な権力や財産を持つ人も居ますが、そういう人達も死から逃れられていません。
つまり「死」に怯えたり怖がったりしても、無駄なのです。
そんな事を考えてる暇があったら、残り少ない人生でやりたい事をできるだけ沢山やった方が遥かにマシでしょう。
いくら健康な人や若い人を妬んでも、どうせいずれそういった人達も死ぬのです。
寿命が20~30年だった人と、100歳まで生きた人で、後者の方が幸せだったか、満足できたかと言えば、必ずしもそんな事はないでしょう。
長生きしたって、体が言う事をきかなくなるばかりか、日常的にどっかが痛いとか目が霞むとか耳が聞こえないとか、不自由さや不快さが増します。
そんな状態で何十年も生き続けなければならないぐらいなら、まだ体が十分健康である年齢で、ぽっくり逝ってしまった方が楽かもしれません。
とは言うものの、これを自殺の理由にされても困りますがw
死に対する恐怖が、まったくの無駄だと言っているわけではありません。
「死ぬ気になって」という言葉があるように、死に対する恐怖をバネに、ものすごくがんばったり、すごい力を出せたりする事もありますから。
「命がけで」という言葉もありますね。
これらはみな「死」が怖い、死にたくない事が前提になっています。
それが他人に対して発揮された場合、自らの命を犠牲にするのも厭わない場合もありますが、それは例えば親が子を守るためなど、自分より他の誰かの「死」の方が恐怖であり嫌であるがためであり、根本的には「死」への抵抗という意味において同じです。
何が無駄なのかと言うと、「死」の恐怖に怯えて、何もしない事です。
そればかり考えて、時間を無駄に過ごす事です。
座間の殺人事件のように、死の恐怖を利用されて、結局殺されてしまうのを見ても、それがいかに無駄で良くない結果しかもたらさないか分かるでしょう。
「死」の恐怖に怯えるなら、それを別の力に変えるべきなのです。
人はなぜ働くのか?
食うためです。
なぜ食うのか?
食わないと死んじゃうからです。
あなた一人だけが、「死」が怖いわけではないのです。
みな多かれ少なかれ「死」の恐怖に怯えながら、日々暮らしているのです。
死にたくないから働き、死にたくないから戦争やテロに反対するのです。
スラム街の子供達は、死にたくないから窃盗や殺人をするのです。
ヤクザも死にたくないから、拳銃だの刃物だのを不法に所持するのです。
死にたくないから、誰かをいじめ、見て見ぬ振りをするのです。
できれば他人に迷惑の掛からない事へ、「死」の恐怖に抗うためのエネルギーが行ってくれた方が良いのですがね。
どうせ死ぬんだからと、犯罪をされても困りますw
そうじゃない事へ、思考を転換し、それこそ「死ぬ気」で残りの人生を送った方がずっと有意義ですよという話です。
警察の動きなどと連動して、なぜか被害者側である貴乃岩や貴乃花親方側を叩くマスゴミの流れは弱まってきました。
しかしながら、白鵬関の土俵上での許されていない審判への異議申し立てと、貴乃花親方が相撲協会の危機管理委員会の協力要請を断ったという、新たなニュースについてコメントを発表した評議委員会議長の発言に偏りが見えます。
それらをさも当然の発言であるかのごとく、何の疑問も呈さないで垂れ流すマスゴミ。
どこがおかしいかというと、白鵬の土俵上での行動に対しては一定の理解と擁護するような発言をした一方で、貴乃花親方の態度については理解も擁護もなく否定的な事しか言っていないというところ。
相撲協会に従え、規則に従えと言うなら、白鵬関の問題行動についても理解も擁護もすべきではないはずです。
ここに相撲協会&マスゴミと貴乃花親方側との対立が、不公平な形で報道されている事がわかります。
私は今回の件では、どちらかといえば貴乃花親方の味方です。
特に貴乃花のファンでもないし、次男特有の自己中さというか独立心の強さというか、そういうのも好きではないので、この問題が出るまでは応援も批判もしてません。
しかしながら、第三者的な目から見て、明らかに相撲協会&マスゴミ陣営は卑怯であり、その卑怯な大軍団に対して一人で立ち向かっている貴乃花親方は応援せざるをえません。
そうは言っても貴乃花親方側がマスゴミの取材にいっさい応じない、何も言わないのだからしょうがないじゃないかと、奴らは言うでしょう。
当たり前ですが、敵の広報にベラベラ喋るほど馬鹿な奴は居ません。
何か言ったところで、切り貼りされて不利な報道がされるであろう事は、政治の報道とかを見ていれば、まともな人間なら分かりますからね。
相撲協会の言い分や立場にも、一定の理はあるとは思います。
ですが、マスゴミの偏向報道や印象操作がそれを台無しにしてるんですよ。
相撲協会は隠蔽体質だと言われようとも、事実だけをマスゴミを通さず、ホームページなどで発表するに留め、貴乃花親方と真摯に話し合うべきでしょう。
貴乃花親方も、相撲協会がマスゴミとこの問題に関しては手を切ると約束してその通りの言動をしたなら、話し合いに応じ、協力すべきと思います。
つまり問題をこじれさせてる一番の害虫は、マスゴミだと言う事です。
このゴミどもは人の不幸を面白おかしく引っ掻き回して、金儲けする事しか考えてません。
一方の側からの情報だけ報道して、「たぶんこうだろう」と勝手に妄想して、それをさも事実であるかのように、放送する。
ではマスゴミはどうすれば良かったのか?
相撲協会からしか情報が無いのであれば、それを一方の言い分ですとことわった上で報じ、どっちが悪いとか問題があるとか、一切のコメントをしなければ良かったのです。
あるいは貴乃花親方側の言い分を、それこそお得意の「関係者」でもいいですから、どうにかして情報を得て、報じるべきだったのです。
それが公平中立な報道というものです。
マスゴミを信用してないため、非協力的な貴乃花親方側を、勝手な妄想で批判すべきではなかったということです。
政治と違って、相撲界の問題については一般の視聴者は「色眼鏡」を掛けません。
どういう事かと言えば、自民党が嫌い、安倍が嫌いという層は確実に居り、そういう「色眼鏡」をかけてくれる視聴者に対しては、捏造だろうが誇張だろうが切り貼りだろうが印象操作だろうが、真実として捉えてくれるし支持もしてくれるでしょう。
しかし今回の相撲の問題に関しては、よほどの相撲ファンでもない限りはもともとがどちらが好きも嫌いもないわけですよ。
無関係な第三者なのですよ、視聴者は。
そこに政治のように偏向報道をしたら、それこそバレますしおかしいと思われますし、それに反発してマスゴミの意図とは逆に貴乃花親方への同情や支持が集まってしまうでしょう。
普段はマスゴミの言う事を信じてくれるじじばば世代にすら、支持されない結果になるのです。
色眼鏡を掛けてみる人が殆ど居ないですからねw
ネットの無い時代であれば、広く公に情報を発信するのはどうしてもマスゴミを使わざるをえなかったでしょう。
しかし今の時代は違うのです。
日本相撲協会とその関係者は、もし一般の人に公平な視点で見て支持してもらいたい、真実を語りたいのであれば、マスゴミを通さずに自らのホームページなどで情報を発信するべきです。
貴乃花親方側も同様に、ホームページとかあるならそちらで少しでも言い分を発信すべきでしょう。
マスゴミの変な偏向やコメントが付いていない、そのままの両者の言い分という情報を、一般人がネットで見てこそ公平な判断が下される事でしょう。
まぁ判断といっても、しょせんは評判レベルですがねw
どっちが悪いとか、それを決めるのは司法の役割ですからねw
一般人にもマスゴミにもそんな権限は無いので。
新聞や新聞記者というのは多くの情報を集め、精査して導き出した真実のみを伝えるのが、本来の姿です。
しかしここ最近のマスゴミは、情報をロクに集めないし精査もしないし、酷いときは情報そのものを捏造したり、切り貼りして自分らの主義・主張に合わせて都合よく編集したりします。
だから信用されないし、すぐにボロが出るし、橋下みたいなプロの論戦家に勝てないのです。
記者会見だの定例会見だのってのは、いわば官房長官だったり地方自治体の首長だったりが、自分の描いた絵を展示しているようなものです。
どういう絵だったかを、題材や色使いや手法(油絵なのか水彩画なのか)などの情報と共に、より正確に分かりやすく伝えるのが「記事」です。
画家は何を書こうとしたのか、作品にはどういう思いが込められているのか、名作か駄作かを論評するのが、「社説」です。
しかし昨今の新聞記者は絵画を鑑賞するのではなく、「ウォーリーを捜せ」をやっているのですw
会見を行っている人は、ウォーリーを探せではなく、自分の描きたいものを描いた絵を展示しているわけで、ウォーリーなんぞ居るわけがないです。
だから無理やり似たようなものを探して、捏造して、誇張して、「ウォーリー見つけたwww」という記事を書くのです。
なぜ新聞記者は「ウォーリーを探せ」しかしないようになったのか?
始まりはおそらく、真実を伝えるのではなく、「どういう情報を報じたら新聞が売れるか?テレビを見てくれるか?」です。
新聞やテレビは、ボランティアではなく商売です。
真実を正確に伝えても、売れなければ食っていけないのです。
だから情報を面白おかしく加工したり誇張したりする。
これがそもそもの間違いだったのです。
より多くの情報を集められる人、それを精査してより真実に近いものを見出せる人より、面白おかしく伝えられる人の方が重宝され、出世するようになったのでしょう。
つまり売れる記事を書ける人、売れる番組を作れる人って事です。
真実かどうかは関係ないし、正確な分析なんぞするだけ時間の無駄ということです。
そして第二段階として、この記者失格の人間が幹部に蔓延る事によって、次第に「こういう結論を読者は、視聴者は求めてるはずだ」と勝手に決めて、それに沿うような情報を持ってこれる人、加工できる人ばかりが重宝されるようになったのです。
これ、かなり好意的に解釈してますからね?
実際は、読者や視聴者の求める結論ではなく、てめーらの政治的な思想・信条に沿うものと言っても過言ではないわけですからw
だから人の話を、まともに聞かないのです。
この人はどういう意図で言っているのか?何を言わんとしているのかというのを、前後も含めて理解しようとしないのです。
記者は人の話を「文章」ではなく、「単語」でしか聞いてません。
「悪い印象」の「単語」、つまりこれが「ウォーリー」なのですが、それだけ抜き出して使うのです。
人の話を単語で聞いているわけですから、理解なんぞできるはずもありません。
というか理解する気もないのでしょう。
ぶっちゃけ、日本語の単語を知っていれば、日本人でなくても良いわけですw
だから理論が破綻している小学生の作文以下の記事や社説しか書けなくなったのです。
論戦をすると簡単に負けてしまうし、ボロが出る、というか論戦すらできないのです。
だって文章の読解力や理解力や理論的な思考が、今の記者には求められていないですからね、雇い主から。
誰かの話を、「あ、いま○○って言った」「いーけないんだ、いけないんだwせーんせいに言ってやろwww」
って言える人の方が優秀であり、出世できるとされているからです。
たぶん小学校低学年の男子生徒に混じったら、人気者になれますよ、今の新聞記者どもはw
まぁそんなレベルに同調する、特に年配の読者や視聴者が多いのも問題なんですがねw
戦後の間違った国語教育の弊害でしょう。
間違った国語教育とは、文章読解力とか言っておきながら、評論家や先生の解釈を言い当てるクイズをやってる事です。
本来は同じ絵画を見ても、受ける印象は個人によって違うものです。
同様に国語の文章というものも、登場人物の気持ちや、ましてや作者の意図など読んだ人によって違って当然であり、みな同じになる方がおかしいわけです。
ところが日本の戦後の国語教育では、「この時の主人公の気持ちとして、正しいものを以下から選びなさい」とか「作者の意図を述べなさい」とか、特定の誰か(高名な研究者や評論家、あるいは問題を作成した先生)の意図が正解であって、自分はどう感じたのかはどーでもいいし、考える必要はないという。
国語教育におけるこの絶対的正義である、評論家だの先生だのが、大人になるとマスゴミになるわけですw
日本人は個性が無いと言われるのも当然ですし、自己主張ができないのも当然です。
だって求められてないし、否定されますから、学校教育でw
国語は数学と違って、絶対的な正解などないというのが本来の姿です。
数学はある意味ウォーリーを探せですが、国語はウォーリーなんぞ居ない単なる絵画だと言う事です。
日本の国語教育は、言ってみれば独裁国家のそれと何ら変わりません。
えらい人の言うこと、地位や名誉や権力のある人の言うことが正解であるという間違った価値観を植えつけているからです。
その偉い人だの地位や名誉や権力のある人が、戦後の日本ではまだ「大きな間違い」を犯してないから、従順な国民による世界一平和で安全な社会が実現されているにすぎません。
マスゴミの連中が偉ぶるのも、こういう理屈を知っているからでしょうかね。
ただ人間というのは、そこまで馬鹿ではありません。
子供って、「なんで?どうして?」って良く聞くと思います。
親の言うことを聞かないのは、子供の「なんで?どうして?」に答えられてないからです。
「なんででもこうしなきゃいけないの!」「どうしても何もこれが正しいの!」としか言わないからです。
はい、今のマスゴミがまさにそうですねw
体罰を否定しながら、自分たちが体罰を行っているのが今のマスゴミや反日左翼です。
口で言っても分からないと言い訳をして、相反する運動や言論を力でねじ伏せよう、弾圧しようとする。
まさに体罰以外の何者でもないでしょう。
横暴で無能な親のように、言葉の暴力を躾や体罰だと言って振るっているのが、今のマスゴミ。
新聞記者のみなさん、本来の役割を思い出して下さい。
本来あるべき姿を取り戻して下さい。
あなたがたの仕事は、「ウォーリーを探せ」をする事ではありません。
絵画をより詳細に見て、どういう絵なのかを正確に伝える事です。
どういう印象を持ったとか、作者の心情だの作品に込められた思いだのを語るのは、社説でやって下さい。
自分が気に食わない、嫌いな絵であっても展示されていた以上は、スルーしたり勝手に改変したせず、そのまま伝えるべきです。